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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年07月11日
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カテゴリ:神秘体験空間
この国の少子化が叫ばれて30年以上経つが、国や民族の将来を憂うどころか、巷の政治家は己の利権確保に頭一杯で、全くの他人事で、悪魔に誑かされて、地獄に堕ちることばかりして、人間をやめて、666の獣に邁進している次第で、一体、政治家が少子化問題を解決せずして、他の誰が、どの職業がやると思っているのか、全くノー天気な、この国の現状である。考えている振りだけして中身空っぽである。

この国の政治家はあまりに無責任すぎて馬鹿を通り越して人間をやめた方がいいと思う。自分の事しか考えられないからどんどん馬鹿になっていくわけなんだろう。そもそもヒト助けなどやったことがないボンボンばかりの人間が権力を持ったからと言って実績がないからできるわけがないのは当たり前である。

政治家が何もせずに口先だけの評論家になっていたら、この国は終わりで、現に終わりに近づいているのはほぼ誰の目にも、天候の不順などから、明らかになってきている。七夕という777の神聖な行事でさえも、神殿を穢した商売人の詐欺師たちにより、獣化した悪魔の666の行事に成り下がってしまった。悪魔が来りて法螺を吹くではないが、立候補者の顔ぶれを紹介する掲示板が荒らされた無法地帯になってしまったわけで、この国の現状をそのまま示していた。まさに泣きっ面に蜂である。

さて、前回は、先日の七夕選挙があまりに酷くて、七夕だったのも忘れて、思わず愚痴ってしまったが、本来の七夕は旧暦から換算すると8月10日辺りで、いまでいうお盆の季節なので、まだ一カ月余りある。七夕は織姫と彦星の話で有名だが、輪廻転生での男女の役割の違いを考えると、面白い事に気づく。織姫は、天の魂を織り込んでいく仕事の象徴で、彦星は、地の肉体を耕していく仕事の象徴と、神秘学で、考えられるからである。つまり、織姫は女性の霊能力や直観力の象徴で、彦星は男性の肉体力や合理力の象徴といえるかもしれない。

伝統的七夕について教えて | 国立天文台(NAOJ)

お盆 - Wikipedia

2024年の七夕はいつ?77日だけじゃない伝統的七夕の意味やイベント情報まで紹介 | HugKum(はぐくむ) (sho.jp)


だから、人智学でいえば、織姫は、睡眠中の潜在意識の活動で、彦星は、起きているときの、覚醒意識の活動を意味している、といえるかもしれない。ぶっちゃけていえば、天の活動と、地の活動で、精神の働きと、肉体の働きと分類できるわけなんである。だから、七夕とは、天と地が巡り合う、あの世とこの世がつながる、夜明けの晩といえるかもしれない。夜明けの晩といえば、かごめかごめの童謡を思い出す。

かごめかごめ - Wikipedia

「かごめかごめ」の意味とは Part I – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究 (historyjp.com)

「君が代」「かごめかごめ」など 歌の中に隠されていた日本とユダヤの秘密|日出処の猫 (o-oi.net)

かごめの唄は、都市伝説では交霊術ともいわれているが、上に紹介したヘブライ語で解読したサイトから、夜明けの晩とは、ヘブライ語のヨ(神)アケー(根絶する)バン(造る)と強引に解読されて、「神は根絶し、造る」という意味になるから、かごめの唄の前半と後半の意味の流れから、この「神は根絶し、造り給う」の夜明けの晩が、地球紀の、前半の火星紀と、後半の水星紀のちょうど中間の、転換期という意味をもつのがわかる。七夕の7月7日も、一年の中間期辺りで、その中間で、男女が出会う日というのは、両性具有の神の創造の日といえるわけである。

このように、人智学の輪廻転生説から、七夕について、かごめの唄を解読すると、男女の天と地の働きが解き明かされる。かごめの唄は、大凡、次のような感じになるかもしれない。

人間よ。男となって地(肉体)を支配せよ。そして、肉体のなかから、神となるべき道徳的行為をなせ。そして、神となるために、それまでの不道徳な行為を悔い改めて、女となって天に従い、天から地を救いなさい。そうすれば、永遠の生命を手に入れられるだろう。

つまり、この唄は、第6文化期の霊能力再獲得の唄なのかもしれない。七夕は、東洋だけの行事にみえるかもしれないが、特に日本では、お盆と一緒になっているために、東洋の文化と思い込んでいるが、それは以前にも紹介した神秘学の進化数のラッキーセブンの777の象徴で、人間が、地球紀を卒業し、自由な愛の天使になったときの進化段階を意味している。人類の進化計画の最終形態で、救世主の数である。その前に、最悪の獣化した悪党の666の進化段階を迎えるわけで、シュタイナーは万人による万人の戦いの時代と預言している。

そこで、西洋の七夕的な行事をググってみると、聖母の被昇天に辿り着く。以下のサイトによれば、聖母マリアの霊魂が天に召された日であるらしい。神秘学では、聖母マリアは、受肉しない純粋なアストラル体を意味し、六芒星の象徴でもあり、聖霊を意味する。

聖母の被昇天 - Wikipedia

聖母の被昇天とは? | カトリック中央協議会 (catholic.jp)




聖母マリアには、人間が、地のこの世に生まれて、古き集合魂の民族魂から自由に独立し、新しき個人の自我による道徳的行為を打ち立てることで、自我を自由に浄化し、愛による救いの霊我へと努力し進んでいく輪廻転生の進化プロセスが秘められている。上の図をダビンチの最後の晩餐の絵画と比べてみる。




地球紀の前半の、火星紀は、戦いの時代で、いわば火の、男性が優位な時代だった。しかし、女性の社会進出から、この国にも遅ればせながら、昭和のオヤジギャルが生まれ、平成から令和へと、リケジョ、レキジョ、ウマジョとか、男性優位が逆転し、女性の活動が目立ってきて、性に対しての差別意識の撤廃から、ジェンダーフリーも唱えられつつある。

しかし、このジェンダーフリー論には、異性の違いによる社会的役割の違いがどのように生まれてきたのか、そして、それを物質的な肉体性において議論している点で、大きな錯誤に陥っているのがわかる。つまり早い話、輪廻転生での男女の役割の違いを抜きにして語るから、混乱して、地での活動の主権や権力を巡って、男女の利権の闘いになってしまうのである。

ジェンダーフリー - Wikipedia


男に生まれた後で女に生まれ、またその逆の、交互に生まれ変わると知るだけで、一方の性にだけに固執し、執着する意味がなくなる。輪廻転生のカルマの法則を知れば、性差だけでなく、民族や人種についても、以前紹介したように、特定の民族や人種に固執し、執着する意味がなくなる。

単純にいえば、男性中心の社会に生まれて、女性を差別したら、今度は、差別された女性に生まれて、自分が男性となってやらかした差別を、身をもって体験するように、女性に生まれ変わるわけなんである。以前、これをニュートンの作用反作用の法則で紹介したが、自分がしたことがブーメランとして自分に返ってくるわけで、自業自得というわけなんである。だから、目には目を、歯には歯を、のハムラビ法典の戒めは、目を攻撃したら、目を攻撃されるし、歯を攻撃したら、歯を攻撃されるが、それは、加害者と被害者が入れ替わって、次の転生で遂行される、カルマの法則であり、だから、キリストは、他人の目になり、他人の歯になりなさいと、説いたわけである。

それはつまり、自分の行いが、次の転生の自分に成り代わるからである。だから、道徳的行為をすれば、次の転生で善人に生まれ変わり、善因善果となるわけなんである。しかし、善人に成り代わるのを見込んで、道徳的行為をするのは偽善で、詐欺なので、詐欺に被害に遭う人間に生まれ変わるだろう。他人に騙されやすい、お人よしの人間というべきかもしれない。

さて、地上での男女の役割の大まかな違いをわかりやすくするには、文系と理系分野の例えが面白いかもしれない。芸術や体育会系は、直感型か、理論型かで、分けるとわかりやすくなるかもしれない。だから、文系分野は、直感型が多く、理系分野は、理論型が多いと大別できるようにみえる。勿論、理系分野にも直感型がいないわけではなく、ただ少なく、少数派というだけにすぎない。

自分は物理畑に進んだので、ほとんどが理論型ばかりで、それもほぼ男性の世界だった。だから理系の世界では、女性は希少価値があり、教員の最初の挨拶は、女性の数学者や物理学者の紹介が定番だった。逆に、文系の、国文学や英文学は、ほぼ女性の世界で、男性に希少価値があるので、恋人のいない男性はいないと、当時の友人に聞いたことがある。恋人探しなら、男性は文系にいき、女性は理系にいくのがよいかもしれないが、理系では、ある程度真面目にやらないと進級できないので、恋人をつくる余裕はないかもしれない。

昨今は、リケジョと言われ持て囃されてもいるが、そもそも理系には女性が少ないので、少ない女性数学者の紹介で、定番なのが、コワレフスカヤである。ラジウムを発見したキュリー夫人はあまりにも有名すぎて、ニュートン力学の授業でニュートンを紹介しないのと同じかもしれない。相対論の授業でも、アインシュタインをわざわざ紹介しない。誰もが知っている人物は紹介されないが、割と知られていない人物が、特に女性の場合、紹介される傾向にあるのかもしれない。ともかく、物理畑に進んで最初に紹介された人物なので、覚えてしまったほどである。

ソフィア・コワレフスカヤ - Wikipedia


理系分野では、女性が少数なので、理系科目が不得意とみなされがちだが、人智学によれば、輪廻転生での役割の違いにあり、男性のほうが、目立ちがちで、自己主張が強いためである。というのも、女性は天から叡智を降ろす役割をもち、直感を得意とするので、地で、論理的に物証する機会を煩わしく感じるのかもしれない。地上での認識から、緻密な論理を構築していくのは、男性の、筋肉を構築し動かしていく経験が実を結んでいる。だから、筋肉から、物質的に、人工物をつくっていくのは、男性の得意技なのである。

そこで、改めて、男性と女性の役割の違いを、輪廻転生から読み解いてみたい。前々回は、熱中症に罹ってしまい、輪廻転生での女性の働きを紹介する途中だったが、改めて代表的な人物をシュタイナーの輪廻転生の本から紹介する。コワレフスカヤの前世かもしれないが、女性数学者の代表的な人物であったヒュパティアである。

ヒュパティア - Wikipedia

オルペウス教 - Wikipedia


シュタイナーによると、ヒュパティアの前世は、古代オルフェウス教徒で、当時の古代ギリシアの秘儀参入法により、霊的な叡智の、オルフェウスの神話に秘められた霊能力を獲得したという。巨人族に八つ裂きにされ、ゼウスにより高次の生命に導かれたデュオ二ソスの神話に秘められた古代の叡智を心魂に体験し、獲得したという。オルフェウス教徒は、秘儀参入すると、自我が八つ裂きにされ、ついには自分がみえなくなるという。

現代人がもつ覚醒意識で、動物や植物、鉱物を認識するには、それらの外見から、物質的に構築した概念で、捉え、それ以上中身の精神や魂には入ってはいかない。これが唯物的な観点の限界で、境界である。現代物理学でいえば、波動を量子の場の境界や、時空間に置き換えて、いわば、量子化してモノ的に捉えているわけなんである。

数学で言えば、ユークリッド幾何学から、せいぜいリーマン幾何学のミンコフスキー空間や、そのテンソル演算に置き換えているわけである。これは、自分と他人に境界を貼り巡らし、区別しているのと同じである。要するに、自分の空間と、自分以外の空間を外的に分類しているのである。数学というのは、分類に使う道具で、物理は、分類に意味づけ、重みづけする配分の割り当て表、計画表のようなものである。化学は進行過程表で、生物学は数学とはまた別の物質界での経験に基づいた分類表である。いずれにしろ、唯物科学では、物質界の境界を超えることはできない。

ユークリッド幾何学 - Wikipedia

リーマン幾何学 - Wikipedia

ミンコフスキー空間 - Wikipedia

テンソル積 - Wikipedia

 

少々脱線してしまったが、オルフェウス教徒は、これら現代人の覚醒意識とは真逆の、現代人のこのハードウェア感覚に対して、自然界を動かす中身の、いわばソフトウェア感覚まで到達し、自然の表に現れる肉体だけでなく、中身の精神や心の中にまで到達し、一体化するための経験を獲得する修行を通して、宇宙の神々との対話を目指していたようである。自然界を形作る神々の心を読み解こうとしていたわけなんである。アリストテレスの4大元素霊とは、その神々の心のなかの残滓みたいなものだという。

四元素 - Wikipedia


シュタイナーによれば、ヒュパティアの前世の、古代オルフェウス教の師匠は、古代ギリシア哲学の前の、哲学史にも記されていない時代に活躍し、後のタレスやヘラクレイトスの哲学は、その余韻にすぎないという。ヒュパティアの前世は、古代オルフェウス教の秘儀参入者の弟子で、シロスのフェレキュデスだったという。そして、秘儀参入から得た古代叡智を、数学で表現するために、4世紀末に偉大な数学者テオンの娘として転生したという。

タレス - Wikipedia

ヘラクレイトス - Wikipedia

シュロスのペレキュデース - Wikipedia

アレクサンドリアのテオン - Wikipedia


ヒュパティアは、古代オルフェウス教による古代叡智を、直感的に数学として体系化したという。ヒュパティアが教える当時の学問体系は、キリスト教が生まれる前の古代オルフェウス教の古代叡智に由来しているために、4世紀当時に支配的となっていったキリスト教の権力者から排斥され、異端とみなされるようになったという。この悪しきキリスト教の権力者が、テオフィロスとキュリロスだったという。

エルサレムのキュリロス - Wikipedia

教皇ベネディクト十六世の110回目の一般謁見演説 アレキサンドリアの聖チリロ | カトリック中央協議会 (catholic.jp)


この悪徳司教たちは、愚かにも非キリスト教的、非教会的なモノを独断と偏見で憎み、私兵を指揮して、ヒュパティアを黒魔術師として糾弾し、民衆を扇動し、弾圧し、虐殺してしまったという。後の魔女狩りの悪しき先例といえるかもしれない。それだけ、この悪徳偏狭の、両司教にとっては、権力を揺るがす存在だったのかもしれない。というのも、ヒュパティアは、当時のアレキサンドリアの代表的人物で、シュネシオスも弟子だったからである。

なぜ「女性哲学者」は非業の死をとげたか 『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』|じんぶん堂 (asahi.com)

生きたまま皮膚と肉を削がれて息絶えた最古の女性科学者が残酷な死を遂げた理由 | PRESIDENT WOMAN Online(プレジデント ウーマン オンライン) | “女性リーダーをつくる

魔女狩り - Wikipedia

シュネシオス - Wikipedia


シュタイナーによれば、古代オルフェウス教に秘儀参入して得られた霊的な知識を、いわば天から降ろして、地上の言語である数学に肉付け体系化するには、女性に生まれる必要があったために、女性数学者ヒュパティアとして、地に転生したわけで、いわば巫女的な役割を果たしたわけである。その巨大な叡智を、当時の悪魔的な権力者の、キリスト教支配者たちは恐れるあまりに、ヒュパティアを魔女として大衆を動員し、虐殺してしまったわけで、正にカリユガのなせる時代といえるかもしれない。

ヒュパティアの人生は、まさに古代オルフェウスの秘儀参入の経験、つまり巨人族の悪魔に八つ裂きにされたデュオ二ソスの叡智の自我を、身をもって個人的に体験したものだったわけである。それは古代オルフェウス教の秘儀参入で、前もって見た、太陽から降臨し、地上で十字架に架かり、受難するキリストの太陽霊の自我の姿だったわけである。

天の理の神意が、悉く人間の悪意により八つ裂きにされ、曲解され、道徳の欠片さえもなくなるほどの虐殺を、黒魔術師というレッテルを貼られ、衆目のなかで曝され、ユダヤの王として刑死したキリストの経験だったわけなんである。だからヒュパティアは、キリストが蘇り、弟子を通じてキリスト教を布教したように、甦るわけなんである。ぜウスにより、高次の生命への認識へと導かれたデュオ二ソスのように、輪廻転生から、再生されなければならない。

そして、シュタイナーによると、ヒュパティアは今度は、男性として、前世とは逆の道を進み、地から天の神意に達するために、12、13世紀に、哲学と自然科学の、人間の認識の統合を担い、輪廻転生の思想を説くために、アルべルトゥスマグヌスとして生まれ変わったという。

アルベルトゥス・マグヌス - Wikipedia

大聖アルベルトゥス・マグヌス | ドミニコ会聖人カレンダー | 学校法人聖ドミニコ学園 (dominic.ed.jp)

 

この古代オルフェウス教徒からヒュパティアへと、そしてアルベルトゥスマグヌスへと輪廻転生を、男女交互に転生することで、地から天へ、天から地へ、そしてまた地から天へと、叡智のフィードバックが輪廻転生を通じて、天と地と、男と女で、巡っているのがわかる。

つまり、男と女は天に向かうか、地に向かうかの叡智の方向性の違いといえるかもしれない。神意の叡智の獲得のために、地球人は、地球で経験を積むために生きているわけなんだろう。

地球人は、宇宙から叡智を獲得するには、地球で経験する他はないからで、地球はそのために、地球人に与えられたものだからで、地球で経験するために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

                 ★       ★       ★

子どもの成長に必要な血縁関係は、老年になっても保持されるが、歳をとるにつれて、新しい関係を受け入れていかなければならない。

血縁関係が、未来の人間たちの偉大な共同体を統合することはない。血縁関係は、東から、今日の恐ろしい論争、闘争、戦争のような出来事を生み出している誤謬である。様々なスラブ民族の間で、共同体の支配を巡って戦火が広がりつつある。

このような対立を生み出す運命の時代に、今耳にしたばかりの、霊的な自我が入り込んでくる。実は、この霊的な自我のなかには、正しい核心、すなわち、霊我は、友愛に満ち溢れた共同体のなかでしか開花しない、という基本的な霊的感覚がある。

だからこそ、この共同体は、血縁関係の、物質的に依存した共同体であってはならない。それは、霊魂の友愛による、霊的に自由な共同体でなければならない。将来、霊魂の共同体として成長する、上空を羽ばたいている霊我は、いま我々の人智学グループを、幼児段階として見守り、発達(進化)させようとしている。

東ヨーロッパを、獣のような集合魂の集合自我にかくもしっかりと捉える堕天使群、スラブの集合魂を捨てたくない、という欲望、それどころか、国家全体の発展原理と見なすようにさせている誤謬こそ、克服すべきものである。

大いなる恐怖の象徴が、世界の目の前に立っている。戦争(第一次世界大戦)が開始された2国家を思い浮かべてみる。一方で、スラブ世界一般を率いたロシアは、この戦争が血縁関係からなる兄弟愛に基づいている、と宣言している。他方には、オーストリアがあり、オーストリアは、13のはっきりとした民族と13の異なる言語を統合している。

オーストリアの動員令は、13の言語で発令する必要があった。なぜなら、オーストリアは13の民族を包括するからである。ドイツ人、チェコ人、ポーランド人、ルテニア人、マジャール人、スロヴァキア人、セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人(また別の共通語から分離した方言もある)、ボスニア人、ダルマチア人、イタリア人である。

13の異なる民族集団が、小さな差異は別にして、オーストリアにおいて結合されている。この意味を理解しようとしまいとも、オーストリアが、血縁関係に基づかない共同体の、人間たちの集合で組織されているのは明らかである。

というのも、この不思議な境界線は、13の異なる系図につながる支脈を含むからである。ヨーロッパで、この最高度の統合国家は、集合魂による人生、すなわち同一の人種などの血縁関係を強力に求める国家とは正反対の位置にある。

しかし、集合魂により統合された人生を目指す努力は、非常に多くの他の犠牲を強いることになるだろう。この現状は、我々を別の問題に導くが、その意味について、次に考えてみたい。

オーストリアの歴史 (austria.info)





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Last updated  2024年07月12日 12時25分42秒
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引用。   毛利夢海 さん
中村先生は「一切の人間は相互に扶助されているものであり、互いに恩を受けているという道理を、アショーカ王は強調する。

国王とても、その例外ではありえない。国王といえども、一切の生きとし生けるものから恩を受けている。

したがって、政治とは生けるものどもに対する国王の報恩の行であらねばならぬ。」

「このような報恩の行は深い宗教的意義をひそめているものである。かれは佛教で説く衆生の恩を確信していたのであった。 ……このような報恩の観念は、おそらく佛教から得たものであろう。」

引用させていただきます。
夢海より。 (2024年07月14日 09時30分39秒)


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