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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年08月08日
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カテゴリ:神秘体験空間
人間の霊魂は不滅で、精神は死なないのに、なぜ墓があるのだろうか? 
令和になる前に、♪私のお墓の前で泣かないでください。♪という歌詞の「千の風になって」が巷で流行曲になったのを思い出す。この歌詞は、米国の有名な詩で、和訳し、曲をつけ、秋川雅史氏が歌うことで、日本で人気になったようである。

千の風になって - Wikipedia

Do not stand at my grave and weep - Wikipedia


人智学を学ぶと、この歌詞が密教の、死者との会話を説いているようにみえる。

「私は、輪廻転生を何万回をも経てきた、千の風なので、決して死にはしません。雪の上のダイヤモンド、豊穣の穀物にそそぐ陽光、穏やかな秋雨、宇宙から上昇気流となって、大きな円を描いて飛ぶ鳥たちと共に静かに、いつでも、あなたを大自然のなかから見守っています。ただ、あなたがそれに気づかないだけなのです。あなたが、私との絆を忘れない限り、いつでも、私はあなたの心の光のなかにいるのです。」

お釈迦さんが説いた原始仏教の密教には、お墓など必要なかったのである。霊魂は永遠で、死ぬことなどないからで、勿論、神や仏も不滅の存在で、神から生命を授かった、神の子の人間も、死ぬことなどないからである。それじゃ、お墓とはなんなのか?

現世的にいえば、破戒坊主の商売道具といえるだろう。密教の教えを歪め、神殿で商売をするものは地獄に堕ちるだろう。密教僧とは、あの世とこの世をつなげる外交官であり、外交を決裂させるような外交官は、失格で、宗教を用いて、本来公正で平等な宇宙と人間の関係に、権威を持ち込んで上下関係を強いるのは、ルシファーら、月悪魔の常套手段だからである。

密教の霊能力開発の修行で最初に出逢うのがルシファーら、月悪魔の連中であるという。シュタイナーは、この連中に唆されないためには、キリストが、この世でなした十戒の行為の、道徳的行為を、実体験し、心のなかのアストラル体に、身に着け、肝に銘じていないといけない、と説いている。現世の坊主たちをみれば、既にルシファーに憑りつかれて、末法の世となっているのがわかる。坊主なのに、唯物論に染まって、霊魂の存在がわからない者が沢山いる。

そもそも、お釈迦さんの仏教は、古代インドの哲学の焼き直しであり、その源流は、ヒンズー教にもなっているが、いまでも、インドにはお墓はなく、死者の肉体は荼毘に付し、聖なるガンジス川に流すのが、慣習となっている。荼毘に付すのは、日本では火葬の意味だが、本来は、霊魂を、あの世に送り返す、セレモニーの意味で、だから、拝火教では、火は神なので、神の姿に戻すという意味なのだろう。拝火教でなく、土を神にするなら土葬で、水を神にするなら水葬で、風を神にするなら、風葬になるわけだろう。

人が死んだらガンジス川に流すって本当ですか (raani.org)

アリストテレスの4大元素霊でもわかるが、大自然が、4つの自然霊の、火、風、水、土からつくられるのを、古代人が、霊能力で知っていた名残りなのが、形骸化した葬式の形から読み取れるわけなんである。ちなみに人智学では、この4つの自然霊を、人体の、火は自我に、風はアストラル体に、水はエーテル体に、そして、土は肉体に模して解釈している。そして、それは同時に、宇宙の進化の、火は土星紀、風は太陽紀、水は月紀、土は地球紀の固体の物質界を現わしている。

さて、いつから墓ができて、神殿で商売をするようになったのかは、ルシファーら冥界の堕天使に聞いてみるしかなく、定かではないが、本来は、あの世とこの世をつなぐネットワークのアカウントのようなものであったはずなんである。恐らく、インドでは、聖なるガンジス川が、あの世とこの世をつなぐ、いわば三途の川で、というのも、霊魂が肉体から解放されるときに、肉体を、トンネルや川のように感じるかららしい。だから、肉体に入るときも、暗闇を感じ、人智学では、この闇の期間を、第3の状態と呼んでいる。

だから、墓は、何も物質的なものではなく、死者と生者をつなぐ、生者が、死者を想い出す切欠となる記憶のようなものと考えられる。人智学によれば、死者との生前の人間関係は、死後も失われず、その関係は、カルマと共に、次の輪廻転生にも持ち越されるという。だから、墓はカルマの記念碑というようなものかもしれない。ちなみに墓の由来を調べると、仏教では、お釈迦さんの卒塔婆からきているようである。

仏塔 - Wikipedia                                              

グナ - Wikipedia

サーンキヤ学派 - Wikipedia


卒塔婆は、サンスクリット語のストゥーパからきているようで、「高く顕れる」という意味をもつようだ。日本語の音読みで、サットバにも聞こえるので、3つのグナのサットヴァの状態を表すのかもしれない。以前、3つのグナは、古代インドのサーンキヤ、ヴェーダンダ哲学でも紹介したが、サットヴァは、菩薩のサンスクット語のボーディサットヴァでもわかるように、高次の悟りに至った仏陀の意味なので、高次の霊能力を獲得し、成仏した印が、卒塔婆には秘められているのがわかる。

菩提 - Wikipedia

人智学では、霊魂が高次の悟りに至ると、輪廻転生の核となる、自我は霊我からブッディを経て、アートマンにまで進化しているので、もはや輪廻転生を必要としなくなる如来になり、それまでのエーテル体やアストラル体を弟子たちに伝授するのを解き明かしているので、その言い伝えが、卒塔婆から、墓になっていったのかもしれない。ちなみに、シュタイナーは、キリストが降臨するために、イエスのアストラル体は、ゾロアスターから、エーテル体はモーゼから引き継いだと述べている。

それがカリユガで唯物論にハマってルシファーに唆されて、神殿で商売する破壊坊主たちにより、高額な墓代に仕立て上げられたのかもしれない。神殿で商売をするような輩は、勿論、キリストが激怒して鞭を打ったように、墓や宗教で商売をするような堕天使に組みする輩は地獄に堕ちるのを覚悟すべきだろう。死者はあの世から全てを見通しているので、肝に銘じておくべきなのである。

マルコ福音書講解 62 (tenryo.net)

『わたしの家は、すべての国民のための祈りの家と呼ばれるべきである』と書かれているではないか。ところが、おまえたちはそれを強盗の巣にしてしまっている

心のつながりに、金銭の介入は妨害になるだけなんである。

さて、人智学を学んでいると、仏教とは多少違うが、墓の由来がわかってくる。古代インドの、ヴェーダンダ哲学では、「そは汝なり」という言葉を瞑想しなさい、と教えられるという。それは、死後、人間がエーテル体を伴って、肉体を離れると、肉体を、内からではなく、外から感じるので、肉体のもつ「私」という感覚を、外からエーテル体を通してみるので、肉体を、「そは汝なり(それはお前だ)」という感覚をもつようになるという。つまり、自分を、外にみる、ようになるという。

この自分を離れて、外から自分をみるのは、勿論、この自分とは、生前の物質的感覚による自分なのだが、いわば、物質界を離れた状態を示すので、生前の人生から離れたことになり、物質界の境界を意味するので、いわば境界石の目印の、言葉となるという。だから、「それはお前だ」という言葉の意味が、形骸化して、物質界の境界の、板や石に、目印として、「それは」の物質的なものに、「お前だ」という名前を記すようになったのかもしれない。

そして、別のホンモノの自我は、霊魂の名で生きているので、仏教では霊名の戒名だが、キリスト教では洗礼名だが、あの世で霊名で、生き続けるのを示すために、生前の面影の位牌や遺骨を、墓と共に、残すようになったと考えられるわけなんである。勿論、霊能者は、死者が生きているのを御存じなので、このようなものは必要ないが、霊能者でない者には、心の潜在意識までは、みえないから、寝る前の、忘れ形見として残したのではないだろうか? 

ただし、生前の名前をよんでも、死者は物質的な名詞は死後3日後には生前の人生を振り返ってしまえば、忘れてしまうので、死者と対話する切欠にはならないらしい。だから、葬式には霊能者がいるべきなのだが、破戒坊主やら詐欺の霊媒師やらが現代には盛り沢山なので、低次の霊能者なら恐怖心から金銭の物欲を煽るだけなので、いない方がマシかもしれない。

別に急いで死者と対話する必要もないので、生前、共に生活した感謝と愛情を注げばいつでも死者は気づいてくれるらしいので、というのも、あの世では時間が空間のようになっているためで、生前の親子の生活記録から、辿ればいいからだ。人智学によると、あの世とこの世をつなぐのは、物質的知識ではなく、精神的な愛情なので、なにより知識よりも、信仰や信頼が重要になるので、友愛の関係が基本になるという。親と子として生きた友愛の信頼関係が重要となるらしい。

だから、ぶっちゃけていえば、あの世とこの世の関係は、いわばネットで知り合い、結びついた信頼関係から、オフ会で出会う感じかもしれない。昨今は、SNSなどから結婚相手を探すのと、似たような感じかもしれない。SNSや婚活ネット会社が、宗教団体になっていると思えば、似たようなものかもしれない。勿論、現世での関係には、ほとんどが霊能者でないので、目にみえる肉体を必要とするのが大きな違いといえるが。またそれだけ目にみえる肉体などの外見に騙される場合も多くなるわけだが。

このような墓の話から、以前紹介した仏教の戒律が、いかにも霊能者のためのものであるのが、人智学の秘儀参入学から、密教を解き明かすことでわかってくる。特に、シュタイナー著の、「いかにして前世を認識するか」、と、「精神科学からみた死後の生」を、何度も読み、学ぶとわかってくるが、この二冊は特に難解なので、比較的に読みやすい他のシュタイナーの本などから、学ぶのをおススメしたいが、とにかくも、この2冊を読みこなせば、密教の世界がみえてくるばかりか、宗教の意味が読み解けるようになる。

巷の宗教学者などは唯物論に知らずに染まり切って、しかも唯物論も深くまで勉強していないから、自分が唯物論の悪魔の論理に落ち逝ってしまっているのに気づかないので、木乃伊取りが木乃伊になっているので、お話にもならない。地上波などの妄言者は、みえないからなんでも言ったもの勝ちの自由があるが、良くもまぁあんなデマカセが言えるのかと、笑ってしまうので、お笑い番組にはいいかもしれないが、だから、唯物論の境界さえ、みつからないので、墓場の意味も知らずに墓に埋葬されてしまうだろう。それだけ、巷には破戒坊主の妄言が罷り通っているせいでもある。金銭と権力にあかせば妄言などでも事実と認めるようになる。専門家なる妄言者の情報奴隷信者が巷には盛り沢山である。

さて、以前紹介したように、仏教の五戒の、不飲酒戒の、飲酒が厳禁なのは、前世がみえなくなるからだが、他にも、不殺生戒の、仏教の精進料理でもわかるが、肉食も厳禁なのは、あの世に行くと、鉱物界と植物界はなくなり、動物界のアストラル界だけが、周囲にみえ、感じるので、動物の気持ちが伝わってくるという。

戒律の意味・仏教の五戒・八戒・十戒・具足戒・大乗戒の厳しい内容 (true-buddhism.com)


それも、この世とあの世は逆のアベコベの関係なので、この世では動物の気持ちを、外から、こちらからみて、感じないと、わからないし、無視する自由もあるが、あの世では、逆転し、主体的な、見る側、感じる側ではなく、常にみられ、感じられる受動的な側で、動物の気持ちが痛いようにわかるので、いわば、ムツゴロウさんのような感覚にならざるを得なく、殺生などの虐待は、動物の嫌な気持ちが有無を言わさずに伝わってくるので、心がいたたまれなくなり、可哀想になり、全存在から、批難されたように、心が気まずくなり、萎えてしまうわけなんである。

つまり、この世にいるうちから、相手の気持ちを推し量る霊能力を身に着けるために、仏教の、不殺生戒があるのがわかるだろう。また、他の3つの戒律の、不妄語戒の嘘をつかない、と、不偸盗戒の他人のものを盗まない、そして、不邪淫戒の、不倫や浮気をしない、のは、この世の経験からもよくわかる、道徳行為だが、輪廻転生のカルマ論からも、理由が明らかになってくる。

シュタイナーは、嘘をつく傾向をもち、軽い気持ちで何でも請け負う人は、来世では軽薄な人間にうまれかわり、特に嘘つきは、アーリマンが好んでやってきて、エーテル体に憑りつくので、来世では、臆病な人間に生まれ変わる、と述べている。また、不倫や浮気は、妬みに端を発するが、妬みは、ルシファーを招きよせ、アストラル体に憑りつかせるので、来世では、虚弱体質の人間に生まれ変わる、と述べている。

だから、空海さんの教えでなくても、五戒を犯している修行僧は、それだけで破門の破戒坊主なんで、密教を学ぶどころか、地獄に堕ちるのを覚悟すべきなんである。恐らく仏典には、そのような霊界の秘密が書かれているはずなので、仏典を読みながら、その法を犯しているわけで、二重の意味で罪が重くなるだろう。また、不倫関係は、親族への裏切り行為となるのが、親子の、死者と生者の輪廻転生の関係からもわかるはずである。要するに、肉体の関係よりも、心の関係が、心のなかの友愛の信頼関係が、人間の愛の血液には、最重要事項なんである。

だから、その最重要事項を守る五戒を破ると、霊能力を失い、死者がみえなくなり、人間関係を失い、地獄に堕ちて、ついには霊魂のゲヘナへと至って、悪魔に仲間入りしてしまうわけなんだろうね。

悪魔の奴隷となって仲間入りしないために、来るべきアーリマンとの戦いを、シュタイナーの人智学的秘教学から紹介する。

           ★       ★       ★

三千年紀初頭(AC2000年)のアーリマンの受肉

(あるブログからの引用)

 来るべきオリフィエルの時代が、「どれほど暗闇になるか」は、三干年紀初頭に受肉してくるアーリマンに対して、人智学運動が意識的に活動しながら、発展し、人類がアーリマンにより奴隷化していくのを防げるか、によって変わってくる。

 「ミカエルは、黒龍アーリマンを足下で打ち砕いている」。

 オリフィエルの時代に、暗黒が深刻化するとはいえ、黒龍アーリマンとの戦いは、すでに今、このミカエルの時代にはじまっている、のをはっきりと意識しておく必要がある。

 アーリマンは受肉してくる(恐らくAIの形かもしれない)。アーリマンの受肉は、必然的で不可避である。大切なのは、「受肉してくるアーリマンは、何をするのか?」を見抜くことである。

 「受肉してくるアーリマンが何をするのか」は、アーリマンが勝利の準備として行っていることを見ていくと、かなりわかってくる。具体的な詳細は、シュタイナーの『悪の秘儀』(イザラ書房)を参照してほしい。

 ここでは、身近な具体例、現代のテクノロジーの問題をとりあげる。

 NHKスペシャル「世紀を越えて」や「サイエンス・アイ・スペシャル」などをご覧になっている人は、90年代に様々なテクノロジーが凄まじい勢いで開発され、社会的に実用化されつつあることを知って、驚異と同時に脅威を感じている、のではないだろうか。

 日本政府が遅れを取り戻そうと躍起になっているインフォメーション・テクノロジーやバイオ・テクノロジー、ナノ・テクノロジー、オプト・テクノロジー、ロボット工学等の開発と研究者たちによって夢みられている未来予想像には、楽観的な期待感しかわかない。

 「臓器移植が更に簡単に行えるようになり、人工臓器の開発が更に進めば、悪くなった臓器を次々に新品の臓器に取り換えていけるようになる。そうすれば、人間は、長年の夢であった不老長寿を実現できる。肉体を不死にして生き続けられるようになるかもしれない」と嬉しそうに語る研究者。

 「すでに外科治療は、内視鏡手術の実用化まできた。ナノ・テクノロジーの開発が進んで医療器具が作られるようになれば、細胞1つ、1つを治療対象にしていくことができる。そうすれば、癌などの治療は、飛躍的に進歩する」と期待を満面に浮かべる研究者。

 「オプト・テクノロジーの研究の急速な進歩によって、太陽光発電の効率は飛躍的に高くなってきている。石油を燃やす電力供給は、もうすぐ終わるだろう」と予測を語り、これで、環境問題は解決されると胸を張る研究者。

 「バーチャル・リアリティーの精度と解像度がもっと高くなれば、ヨガの修行者や臨死体験者が見たと語る死後の世界をバーチャル・リアリティで鮮やかに体験できるようになるだろう。その為には、バイオ・コンピュータが必要だと思いますけど」と語る研究者。その他、その他。

 これらの中でも極めつけは、K・エリック・ドレックスラーをリーダーとして開発されているナノ・テクノロジーの1つ、「細胞マシン」である。これは、人間の細胞のなかで蛋白質が行っていることを人工的に再現して、「物体を一度原子に戻し、原子を組み立ててあらゆるモノを作り出す」機械の開発である。

 「網胞マシンというのは、石ころでもゴミでも何でもいい。それらを一度原子に戻し、その原子を設計図どおりに組み立てていって、クルマでも、テレビでも、家具でも、何でもお望みどおりのモノを作りだせるナノ・マシンです。だから、細胞マシンが完成すれば、人間はこれまでの労働からまったく開放されることになります。早ければ2015年までに、遅くとも2050年までには、完成できると確信しています」と語られている(『ナノの楽園』工作舎、参照)。

 このミクロを超えたナノのレベルで進行している様々な超テクノロジーの開発が目指しているのは、何なのか。簡潔に言えば、生きるための労働の苦・病の苦・老の苦・死の苦からの開放である。

 (この文章が書かれたのは90年代で、2000年代にはiPS細胞技術がもたらされた。シュタイナーは約80年前に既に、遺伝子技術と、再生医療技術を、アーリマンが人類にもたらす災いとして預言している。驚くのは、再生医療技術の発明者を日本人と預言していた。実際、iPS細胞は、山中氏による。)

 「生・病・老・死は苦である」とは、地上に生きて仏陀が発見した地上の真理でした。「夢幻[マーヤー]であるこの地上の世界において、唯1つ真の現実がある。それが死なのです。」(シュタイナー「霊的観点から見た宇宙の進化」)から。

 だけど今、アーリマンは、人間を「生・病・老・死の苦」から開放し、地上を「生・病・老・死の苦のない楽園」にしようとしている。そして、この「楽園」が、まさに今、この地上に実現される時が近づきつつある。

 けれど、その「楽園」は、抽象的な概念と感覚的イメージによって再現された人工的現実[バーチャル・リアリティー]の日常世界化であり、「霊魂が死体化された死の世界」であり、精神的、魂的には虚無の空間に過ぎない。

 (永遠の生ではなく、束の間のただ一代の生にすぎない。)

 このような科学テクノロジーによって、「アーリマンは、人間を地上の世界に閉じ込めようとしている」のが、地上の現実になろうとしている。仮に、研究者が語っていたように「不老長寿が実現される」なら、人間は死の時を引き延ばし、そのため死後の世界で、地上で成し遂げた成長に見合った神々の叡智を受け取る機会がなくなってしまう。

(死後の審判を受けないので、宇宙の進化から除外される。)

 「ほとんどの病気が、ほとんど苦痛のない細胞1つ、1つの移植で治せるようになる」としたなら、過去生における罪・過ちによって不完全になった霊魂を、カルマの浄化力によって、もたらされる、苦しみ・痛みによって、完全なものに純化していく機会がなくなってしまう。

 (人類は天国に帰れなくなってしまう。)

 「生・病・老・死の苦がない」とは、カルマの働きが妨害され、阻止されることであり、霊魂は頽廃や腐敗を深めて不完全になっていくだけとなる。

 「アーリマンは、地上を生・病・老・死の苦のない楽園にしようとしている」と聞いても、50年代~80年代にかけて様々に語られてきたサイエンス・ジャーナリストの未来予想に幻滅と失望を味わされてきた人は、信用しないかもしれないが、そのテクノロジーは、地下(霊界でいう地獄界)のアーリマンの学院で密かに教育され、地上に受肉してきた人間に密かに伝えられ、将来、受肉してくるアーリマンの勝利のための準備にすぎないのである。

 アーリマンは、これらのテクノロジーの開発を踏まえながら、もっと凄いことをやろうとしている。それを知れば、「アーリマンは、地上の楽園をつくろうとしている」という言葉が、現実味を帯びてくるだろう。

(人工知能AIのことで、AI人類のことである。)

 地上の人間に受肉したアーリマンが、善意から人間に教えたがっているのは「ゴンディシャプールの三つの知恵」である。

 ゴンディシャプール(アラビアの科学として有名)の三つの知恵の第一は、誕生と死の秘密の開示である(遺伝子技術)。第二は、精神医学(人工知能技術)、予防医学である(再生医療技術)。第三は、エーテル体の振動を機械に移して機械を動かす力にしていく律動学(人造人間=ロボット技術)である。

(これらは、古代に黒魔術として知られていた。古代人は遺伝子技術を使って作物をつくったが、その名残が現代の遺伝子作物となっている。古代人の人工知能や再生医療は、ミイラづくりによる輪廻転生期間の省略化などである。現代のロボット技術は、古代人のゾンビづくりを髣髴とさせる。当時ゾンビという言葉はないが、陰陽師の式神のようなもの。古代アトランティスは、黒魔術の濫用で滅んだ。)

 ここで注意すべきなのは、ゴンディシャプールの三つの知恵の教授と実用化には、多くの人間がエーテルの霊視をおこなえるようになり、エーテル体の力を恣意的に操れるようになる、ということが前提になっていることである。

(霊能力が開発されないと絵に描いた餅。というのも、古代アトランティス時代が滅亡した原因。だから神々は、霊能力を人類から取り上げて、優秀な者だけに与えるようにした。赤ん坊から危険なハサミをとりあげるようなものである。叡智に自分で達した者だけに与えるようにした。) 

 アーリマンは、地上に密かに設立する学院で壮大な黒魔術を行い、自我が、それに相応しい成長や成熟を遂げていない人間に、エーテルの霊能力を与え、地上の肉体による感覚的な欲望の実現や享受のために使うように、唆そうとしている。

 これについて、シュタイナーは以下のように語っている。

 「正しい時期にアーリマンが西欧世界に受肉するならば、アーリマンは巨大な密教の学校を設立するだろう。この密教の学校では極めて壮大な黒魔術が行われ、それ以前では、苦労により獲得できた、あらゆるかつてあった古代の技術が、人類の上に再び注ぎこまれることになる。

 ここで、『地上に降りてくるアーリマンが一種の悪魔のような姿をして、人間に可能な限りの悪を働く』等という俗物的な考え方をしてはならない。それは間違いである。「人智学について何も知りたくない」と言う不精な人たちは皆、アーリマンの魔力に負けてしまうだろう。

(米国政府が悪の宇宙人グレイと技術取引をしたという都市伝説でわかる。グレイは人工生命体である可能性が高い。)

というのも、アーリマンは壮大な方法で、魔術によって非常に多くの人間を霊視者にできるからである。アーリマンは個人を恐ろしいほどの霊能者にする。しかし、どのような霊能者になるかは、個人で全く異なっている。

(「アーリマンが受肉すると何が起こるか」松浦賢訳『悪の秘儀』イザラ書房p201~202)

 アーリマンの壮大な魔力によって人間が霊視者になり、エーテル体の力を恣意的に操れるようになり、ゴンディシャプールの三つの知恵を教授され、霊能力を、地上の肉体の感覚的な欲望の実現と享受に使うように唆されたなら、「生・病・老・死の苦のない楽園」は本当に地上に実現される、と考えられる。

 オリフィエルの時代の暗黒の深刻さは、人智学を学ぶのを拒否した人たちが、アーリマンに負けて、「生・病・老・死の苦のない楽園」の実現を歓迎し、気持ちよく、楽しく、享楽的に生きてしまった結果から生まれる。だからこそ、「オリフィエルは怒りの大天使となって、人間を強引に浄化する」のである。

 アーリマンの受肉、そして、ゴンディシャプールの三つの知恵の教授に対して、人智学運動はいかに対決し、何を為すべきか?

 ゴンディシャプールの三つの知恵のうちの、第一の、誕生から死までの人生の秘密の、カルマの開示(遺伝子技術)に対しては、人間は、実際にアーリマンやルシファーたちを意識して対決できるようにならなければならない。

 (遺伝子技術などによりカルマを回避せずに、キリストのように受難死を受け入れること。)

 第二の医学の開示(人工知能と再生医療)に対しては、人間は、目に見えないものに対する絶対的な道徳意識を育成していかなくてはならない。

 (死者との対話を復活させて、霊性の獲得を目指す。)

 そして、第三の律動学(ロボット技術)の開示に対しては、人間は、エゴイズムを完全に克服した社会秩序を人類の末端の極めて広い範囲にまで生じさせていかなくてはならない

 (他者の不幸の基に自らの幸福を追求しないことで、他者の幸福の基に、自らの幸福を追求すること。)

 これらは、ミカエルの時代のミカエルと人智学運動の課題と使命である

 (白い龍に乗ること。龍=エゴの使い手になること)。

 アーリマンの受肉が人類に突きつけているのは、人智学運動を「いわゆるマイ・ペースで、自分の趣向に合った形で」やっていくのではなく、人智学運動の世界史的な使命を自覚して引き受け、受肉してくるアーリマンとの意識した対決を自分の内なる戦いとして戦い抜きながら、残された時間が少なく、限られた時間の切迫性を、目的意識をもって、強化に転化しつつ前進していかなくてはならない、ということである。

 ここまできて、やっと、「ミカエルの考え」とは何か、という問いに、1つの答えを出せる。簡潔に、一言で語れば、

 「ミカエルの考え」とは、「自由になった人間よ、私に従い、キリストとの深い結びつきをもって、アーリマンの領界(地獄)から脱け出る道を見つけ出せ!」ということである。その道を、ミカエルは指し示している。





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Last updated  2024年08月09日 12時51分30秒
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