「天皇制は何故母系にならなかったのか?」
母系社会研究会 「日本の母系社会」より日本の母系社会の消滅原因古事記には神武天皇が大和を制圧した後、地元の豪族の娘と結婚した時に、「通い婚」をしていたと窺わせる記述があります。また有名な源氏物語では、光源氏は夜になるとお相手の女性の家に行きデートしていますが、これも「通い婚」であり、源氏物語が生まれた頃の貴族社会の一般的な結婚制度を反映したものでしょう。この貴族達の「通い婚」は母系社会や母系社会から現在のような父系社会への過渡期の結婚制度であったと考えられます。ということは、彼らが日本に移住する前か後かは解りませんが、それ以前の社会は母系社会だったのではないでしょうか。現世人類が誕生した20万年前から結婚制度があったとは考えられないので、この20万年間のどこかで結婚制度が生まれ、現在のような形態の結婚制度にまで変化してきたはずです。もちろん、これだけで日本人はかって全て母系社会人だったとまではいえません。しかし私達は他の様々な理由を総合して、日本人の祖先は、まだ大陸にいた頃かもしれませんが母系社会人だったと考えています。それではなぜ母系社会は消滅し、父系社会に移行したのでしょうか。今となっては推測するしかないのですが、3つのケースが考えられます。一つは、妊娠のメカニズムを知らなかった人々が、妊娠での男の役割に気がつき、男に生理学的父親、実父という自覚が生まれ、子供に対しての権利を父親が主張し始めて、その結果母系社会が父系社会に移行したケ-スです。この場合ですと、このグル-プはまだ大陸にいた頃に母系から父系へと移行し、父系家族集団として日本列島に移住してきたのかもしれません。そしてもう一つは農業の導入により戦争が本格的に始まり、父系社会に移行したケ-スです。農業の導入以前は狩猟採取の時代でした。現代の狩猟採取民の戦争を調べた学者によると、戦争の必勝法である奇襲といったことはせずに敵が戦争の準備を整えるまで攻撃を待ち、両者の準備が整うと合図とともに弓を打ち合うような儀式的な戦争で、弓も小動物用なのであまり威力もなく、犠牲者も数人の場合が多いそうです。ところがやがて、農業―栗などの栽培時代も含めて―の導入により、世界中で農地や農産物などの富の奪い合う本格的な戦争が始まります。初めは男性の職業的軍人はわずかで、村中の戦闘可能な男が動員されて戦っていたのでしょうが、繰り返し起きる戦争は戦闘員としての男の発言力を増大させたと考えられます。やがて、より大規模な戦争が始まると万物を神聖視するアミニズム的な自然宗教(山や奇岩、大木などを神として祭る古代の神道)の日本列島に、後から様々な神を祭る集団が移住してきて各地に小国家を形成しました。最後に職業的な軍人集団を操り、「生き神」的な宗教的権威(天皇)を中心とする集団が日本に移住したのです。この集団は軍事力だけでなく「生き神」としての宗教的な権威も利用して支配領域を拡大し、やがて彼らはこの「生き神」を中心に専制的権力を日本に樹立したのです。このような過程で日本の各時代、各地の支配層を形成したこうした様々な集団の男達は、土地などの財産を自分と血の繋がった子供に相続させたいと考え、日本に男性が子を産む女性を専有する実質的には一夫多妻制の結婚制度を持ちこんだと考えられます。こうして長い年月を経て財産(土地など)を持つ者から順に父系家族へ移行したのでしょう。3番目は市場-貨幣経済の発達により、父系社会化したケ-スです。現在の農漁業などを営む自給自足的な母系社会は、貨幣収入が得にくい為に、伝統的な生活の村から都市へと人口の流出傾向があるようです。これは市場経済が始まった数千年前から今日まで、世界中で継続して起きている現象ではないでしょうか。農業により食料の生産が増大すると「都市」が生まれ市がたつようになり、市場経済が始まります。この市場経済には父系の核家族の方が適しています。というのは母系社会では、同じ場所に大家族で生活し、そこから通える距離でしか働けないのですが、核家族だと住居地を変えやすいので、新しい職を求めて各地の都市を移動するなどして、社会の変化に素早く対応出来るからです。ですから市場経済、貨幣経済も母系社会を消滅させた原因の一つでしょう。「都市」の形成-拡大は市場経済も拡大させ、その都市の周辺から母系社会は消滅したのかも知れません。貨幣は日本では12.13世紀頃にならないと、本格的使われなかったのですが、それ以前は米や絹が貨幣の代わりに使われていましたので、これらを貨幣の代わりに使用した分業制の発達による経済の高度化は、日本でも伝統的な自給自足の母系社会的村落から「都市」へと人口を移動させ、母系社会を崩壊させたのでしょう。このように妊娠の仕組みの認識や農業用の土地などの所有権をめぐる戦争、「都市」の形成による市場経済の発達は父系社会を拡大し、徐々に母系社会を縮小させたと思います。もちろん父系社会的宗教の影響も庶民レベルでは大きかったと考えられます。現在の日本人は、おおよそ中国系、朝鮮系、南方系、アイヌ系の血がほぼ4分の1の割合で入り混じっているそうです。ですから東アジアの様々な地域から別々にこの日本列島に到達し混血しているので、この3つのケ-ス、グループのうちのどれか一つというよりも、ある人々は大陸時代に、またある人々は日本列島に到着後父系社会に移行したと考えるべきでしょう。引用以上・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第一案と第三案は、遊牧部族の父系制や現在社会が父系制から母系制に変化しつつある現象を説明できないように思います。私も第二案に近い。大陸では戦乱が続き早くから、母系制が父系制に転換していた。そして日本には、大陸の戦乱から逃げてきた弥生人が、父系制を持ち込んできたのではないかと思っています。弥生人は明らかに縄文人より、優れた農耕や技術を持っており、縄文人はそれらを受け入れていった。父系制といえるかどうかはわかりませんが、縄文部族の道標たるシャーマンに弥生人が優れた農耕や技術を縄文人に提示することにより、シャーマンが女から男に代わっていたのではないでしょうか。まずは、父系制の前提となるシャーマン(≒天皇制に繋がっていく)という指導者が女から男に変わったのではないでしょうか。応援してね。 ⇒ Blog Ranking