2839193 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

サイド自由欄

カレンダー

2018/04/12
XML
カテゴリ:会長日記

いつも固い話ばかりで、申し訳ありませんが、毎日ブログを綴っていると、ネタが無くなるものですから、仕事の中で、パッと思い付いたことを、書くことになります。

 

そうなると、自分には、当然、稲盛塾長からの教えがベースにありますから、どうしても、少し硬い内容になります。

塾長の教えといえば、その基本は「京セラフィロソフィ」になります。

 

そのフィロフィの根幹にあるのは、「人間として正しいことをする」です。

何をするにしても、すべての意思決定の際は、この「人間として正しいことをする」が、ベースとなります。

 

こういえば簡単そうですが、現実は、大変難しいことです。

人間として何が正しいかという判断基準は、子供の頃に両親や先生から教えられ、人間として守るべき単純でプリミティブな教えというのです。

 

「欲張るな」「人を騙していけない」「嘘を言うな」「正直であれ」

言葉で表せば、公平、公正、正義、勇気、誠実、忍耐、努力、親切、思いやり、謙虚、博愛といったところでしょうか。

 

それと、先程難しいと言いましたのは、「自分と違う意見を、採用する勇気があるか?」ということです。

誰もが自分で得た経験を基にしています。しかし、それが全てではありません。

 

その際、気の合わない人、普段よからずと思っている人の意見を、素直に聞き入れる

ことができるかどうかです。

どうしても「誰の意見」かが先に立ち、「何が正しいか」の見極めが難しくなるのです。

 

そして、自分の経験が、すべて先に立つのです。

全く、自分を無にして、ごくシンプルに「人間として正しいこと」を、見極めることは、大変難しいことです。

 

合掌













お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2018/04/13 07:50:29 AM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.