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カテゴリ:雑感
台湾や香港で土産物店に入ると、よく布袋像を売っている。
それも像だけではなく、灰皿や楊枝入れにも布袋をデザインしたものもある。 日本ならばさしずめ七福神なのだが、中国では布袋様一人に集中しており、その人気の高さに驚く。 布袋というのは唐末の時代に実在した人物で、布施でもらったものを入れる袋をかつぎながら放浪を続け、人の吉凶を言い当てるなどの数多くの超能力を示したという。そんな不思議は存命中にとどまらず、死後には埋葬した遺体が消えて復活したという話まであるという。 そうした布袋和尚を人々は弥勒菩薩の化身と信じるようになり、中国の寺では布袋を祀ったところも多いらしい。(以上wikipediaによる。) 日本の七福神では、恵比寿様や大黒様の人気に比べると布袋和尚というのは地味な気もしていたのだが、あの広い中国で一人の僧が弥勒の化身として信仰されているとなるとすごい話だ。 ※ 昨日見たテレビ番組「美の巨人達」では、仙がいという人の書いた布袋像を紹介していた。 仙がいというのは江戸後期の禅僧なのだが、その布袋像は無我無心の境地を表したような絵である。上に向けて指を指している姿勢で、「指は経典、月は悟り」という比喩なのだそうだが、その月をあえて描かなかったのは、「悟り」そのものも含めてものにとらわれることを否定したかったのだろうか。 仙がい和尚は89才で亡くなったそうだが、臨終の際の言葉は「しにとうない、ほんまにしにとうない。」ということだったという。 ※※ 悟りすました表情の仏像や高僧の像を一方の極とすれば、福々しい笑みをたたえた肥満体の布袋像はそのもう一方の極なのかもしれない。 財運、健康、安寧などの幸福を象徴すれば、ああいう姿になるのだろうか。 今では突き出た腹の肥満体はメタボに象徴されるようなマイナスイメージしかないのだが、かっては肥満というのはそんなに悪いこととは思われていなかったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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