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カテゴリ:少子高齢化
買い物はいつも自転車なので距離にすると3~4キロの範囲内ということであるが、我が家周辺にはいくつかのスーパーがある。そして、その中のひとつに比較的高級感をただよわせたところがある。もちろんめったにはいかないのだが、やはり入るたびに思う。
他のごったがえしている感じの店とはずいぶん雰囲気が違うなと・・・。 中でも、何が違うかというと、小さな子供づれの若夫婦が目立つことだ。 少子化がいわれて久しいが、今や子供というのは人生のオプションから、最大のぜいたく品になったのではないのだろうか。 だからできちゃった婚などは別にすればこんなスーパーに買い物に来るような夫婦しか子供なんて持てない。 ※ 子供を持つためには、安定した収入が不可欠である。しかも、子供にかかる金は成長と共に増えていく。だからただ、今の収入が十分なだけでなく、10年先、20年先もやはり収入があって、しかもそれが増えていくという見通しがないと無理だろう。 収入だけではない。子供は金ばかりではなく、手間もかかる。 十分な余暇時間だって必要だろう。 非正規雇用が3分の1、年収200万円以下が1000万人超。非正規雇用だけでなく正規雇用も不安を感じる時代に、子供を持てるなんていう人は、本当に少ないのではないか。 ※ 少子化は別に問題だとも思わない。 地球環境を考えれば少子化による人口減は大いにけっこうだし、高齢化を思えばこれ以上従属人口を増やすことは社会の負担を増すばかりだろう。 ただ、未婚化はちょっと話が違う。 子供を持てる人が限られるような時代になれば、結婚をする人も減り、自然、独身のまま生涯を終える人も増える。 高齢化社会を史上初めて経験するものだとはよくいわれるが、未婚社会も実は史上初めてなのではないか。 多くの人が結婚している社会に比べ、独身者があふれる社会はどうしても不安定になる。 貧乏人の子沢山とか稼ぐに追いつく貧乏なし・・・なんていう言葉が昔いわれた。 そうだとしたら結婚して一人の子供を持つこともできない貧困というものは最近現れた現象なのかもしれない。 日本の貧困はアフリカよりもマシ。 こんな言葉をいう人は多いが、アフリカよりもマシではない点もある。 それはアフリカなどの開発途上国では多くの人は結婚をし子供を持っているのに対し、日本で増えつつある貧困層は家族を持つことすらできないということである。 宗教という安全装置だけではなく、家族という安定維持機能もない。 そうした意味で日本の貧困は人類が始めて経験するタイプのものかもしれない。 ※※ 選挙で王政を廃止し共産主義政権を樹立したネパールの例をみればわかるように参政権という権利はとてつもなく重い。近代民主主義は暴力革命なしで、国家の体制の根本変革を行う権利を一人ひとりの国民に与えているものといえるのではないか。 それを思うと憲法9条だけを視野に入れた護憲か改憲かという議論は、なんかこんなとてつもなく重い権利をすごく矮小化しているようにしか思えない。 、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年02月17日 06時53分52秒
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