横浜に野島公園というところがある。
ここには伊藤博文の別邸が復元されて無料で公開されているが、なかなか見ごたえがある。明治憲法はこの別邸で、伊藤博文、井上毅、金子堅太郎、伊藤巳代治の4人の俊秀が集まって草案が練られた。その内容は国民には極秘とされ、もちろん世話係りの女中はいたが、彼女も難しい議論はさっぱり解せなかったという。この頃には草の根で私擬憲法が作られたという記録があるが、そうしたものは憲法草案には全く影響していない。
それでも国民は憲法発布を喜んだというが、肝心の憲法の内容は全く知らなかった。中には、「絹皮の法被」が貰えると勘違いをしていた人もいたという。現憲法を押しつけというのであれば、明治憲法だって国民の頭越しにできたという意味で、やはり国民にとっては押しつけであろう。憲法制定の中心となった4人はいずれ劣らぬ秀才であったかもしれないが、彼らの頭の中で普通の国民というものはどういう位置付けを占めていたのだろうか。少なくとも現行憲法にあるような基本的人権とか生存権とか、そうした発想はなかったように思う。