カジノ法案についてのネット上の言説をみていて、目につくものは「すでにパチンコがあるのだからカジノがあってもよい」、「カジノがだめならなぜパチンコがよいのか」という言説である。これについては、既にあるパチンコの是非とカジノの是非は無関係なのではないか。パチンコがなぜか容認されているギャンブルだとしても、これがあるからカジノもよいではないかというのは、いわば既に毒を飲んでいるのだから更に毒を飲んでもかまわないといった論理である。
報道を見る限りであるが、やはりカジノ法案はおかしいと思う。
カジノを置いている国は多いが、その多くは外国人専用である。こうしたものは途上国が外貨稼ぎのために置くのが普通であり、飛行機に乗ってやってくるような金持ちの外国人から金をとるのはよいが、自国の庶民がむしられるようなことになっても困るということだろう。国家は普通自国民が不幸になるような政策は行なわないし、それは慈悲というよりも、ギャンブルですってんてんになるような人が増えたら即治安の悪化や福祉などの社会の負担増大につながるからである。そしてまた、自国民にカジノを開放しているところでも、ラスベガスのような都市部から離れたところが多い。それでも、韓国では唯一自国民に開放されているへき地にあるカジノで、多くの韓国人が大金をすってしまって社会問題になっているという。
日本のカジノ法案では、外国人専用という議論はほとんどないようであるし、人のよい日本人は「自国民ならだめだが外国人からはぼってよい」という議論はおもてだってできないであろう。結局、顧客は日本人が中心になるであろうし、場所も東京や大阪などの交通至便の場所にできるので、ぼられる日本人が続出することになるだろう。雇用を生むとか経済効果とかいうが、生まれる雇用の多くはウサギの耳をつけて尻を出して歩き回るような風俗まがいの不安定な職くらいで、とても良質な雇用を生むとは思えない。
外国人観光をよぶ起爆剤と言うが、今だって外国人観光客は順調に増えている。どうみても、国民が幸福になるとも思えないような法案を拙速で成立させようとする政府は途上国にも劣る。