有名神社はどこも初詣で大変な人出だが、この初詣が風習として定着したのは意外に新しく明治中期だという。そういえば伝統的な日本のお正月風景で思いだす羽根つき、凧揚げ、門松、雑煮なども、今のような形で普及したのはそんなに古いことではないのではないか。伝統といっているものの多くは実はそんなにふるくからあったものではない。いってしまえば、何となく自分の幼少期の想い出や父母の昔語りにあったもののうち、好ましいと思うものを「伝統」と呼び、それがあたかも古くからあって、これからも守っていかなければならないものと思いこんでいるだけなのではないか。昔は普通にあったような妾の風習や男色、それに家柄や生まれによる差別などを「伝統」とよぶ人はいない。かように「伝統」という言葉も恣意的である。
思うに社会の風潮や風習というものは案外早い期間にかわるのではないか。
あたりまえと思っていたことが、いつのまにかあたりまえではなくなっている。
年末年始やお正月休みは「あたりまえ」と思っている人がいるが、今では年末年始も開けている店は多く、山のような荷物を抱えた宅配便のトラックも走りまわっている。実はお正月も休んでいない人々というのはかなりの数に上るのではないか。出生児数が100万人を割ったという報道があったが、これも「結婚して子供を持つ」ということがあたりまえではなくなったということであろう。少子化というと少なくなった子供にスポットをあてる報道や分析が多いが、少子化と同時に進行しているのは未婚化であり、中年以上の未婚者の増加が社会をどう変えていくかという分籍はあまりない。
その一方で、「あたりまえ」でなかったものがあたりまえになっていくものもある。昭和30年代くらいには「意味もなく騒ぐ若者のクリスマス」を批判した記事があったが、クリスマスはいまでは「意味もなく騒ぐ行事」か恋人同士が「せい夜」をすごす日として定着している。これもすでに日本の伝統になりつつあるわけである。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう