小学校や中学校の頃、未来の社会について「機械が人間にかわって仕事をし、人間が働かなくてすむ社会」を空想する子がよくいた。いや、それは子供の空想だけではなく、なにかのSF小説でも未来社会で皆が働かず好きなことをやって暮らす社会を描いたものを読んだ記憶がある。
こんな空想もAIでなくなる仕事があるという話をきくと、もはや空想ではないのかもしれない。
そして一方ではBI、ベイシックインカムという議論もある。
すべての人に生存に必要な最低限度の給付を行うという議論だ。
このAIとBIはつながっているのかもしれない。
多くの人の仕事がなくなるから、無条件にBIを給付するというわけだ。
そうなると、未来社会というのはAIで置き換われない高度な仕事をする少数の人々と、BIで暮らす大衆という究極の格差社会になる。もちろん格差社会でも底辺が暴動を起こすほどの貧困でなければ社会は回るのでそれはそれで一つの社会の形かもしれない。昔読んだSF小説では「好きなことをやって暮らせるようになった人々」は芸術などの趣味にいそしみ幸福に暮らしていた。けれども、人間はそんなに高尚なものではない。小人閑居して不善を為すというのはいつの世も変わらぬ真理である。暴動はなくても、小さな犯罪や賭博などは蔓延しそう…。
そしてまた社会の再生産の問題もある。
エリートとBI大衆の間には越えがたい壁があるが、BI大衆の女性は、女性の本能でエリートの男を追うのではないか。まあ、そこで女性は手あたり次第という人と、女性には相手にされない人との差が生まれ実質一夫多妻となるだろう。交際の自由、婚姻の自由がある限り、能力貴族と能力大衆という形でエリートと大衆が世襲され、昔の貴族と平民のような形に落ち着くとは思えない。
ちょっと想像もつかない社会である。そういえば、子供の頃、未来を空想したときも、スマホやパソコンなどまるで想像もできなかった。