オウム事件の残りの死刑囚6人の刑が執行された。
前回の麻原を含む7人のときと比べて、やや陰惨な感じがしたのは、前回の死刑以降残りの6人がどんな心境でいたかをつい想像してしまうからだろう。処刑が切迫した死刑囚の心理は加賀乙彦の「宣告」に描かれており、また、「二都物語」にも、恋人との別れにからめて描かれている。こういうのはフィクションだが、現実の6人は四六時中首の後ろに綱がまきついているような心境で2週間あまりを過ごしていたのではないか。
オウムでは多くの人々が犯罪にかかわった。そうした中で死刑が執行された12人が特に悪辣というわけではなく、集団の中でそうした役割に当たっただけという面がある。それに組織犯罪というものは、いったん組織に入ってしまうと逃げられない。ある役割を命じられて、それを拒否したとき、今度は自分の身があぶなくなるかもしれない。警察に駆け込んだからと言って、警察が守ってくれる保証はない。そのあたりやくざ社会と同じである。
また、早い段階での自首があればサリン事件を防げたのではないかという見方があり、それはそうなのだろうけど、あくまでも時間を逆に見るから言えることではないか。弁護士一家策人事件直後はサリンなど影も形もなく、この時点で自首したとしても、「サリン事件を防いだ」などという情状にはならず、やはり極刑の可能性はあった。
そんな組織の中で起きた事件なのだが、それでは麻原がすべて把握して、すべては麻原の意思で行われたのだろうか。視覚障害という大きなハンディをかかえ、専門教育を受ける機会のなかった麻原にそんな能力があったとは思えない。大きな組織の力学で起きたことのようにも見え、結局はよくわからないし、今回死刑が執行された人々がもしずっと生き続けていてもやはりよくわからなかったのだろう。
死刑が執行された麻原も含む13人は国家から最大級の報復をうけたが、他のオウム犯罪者に厳しい処断がなされたかというとそういうわけでもない。微罪ですんだ幹部も多いし、中には薬物使用にかかわり、サリン謀議の場にいても、まったく刑事責任を問われなかった人もいる。世界で初めて犯罪目的でサリンを作った女性二人も短期間の懲役刑で済んでいる。
一般信者となると、オウムでの体験をもとに本を出版した人も何人もおり、週刊誌で評論家のようにインタビューに応じている人もいた。そうしたものの需要があったと言えばそれまでだが、世間のオウム信者に対する見方は必ずしもバッシング一色ではない。一般信者ではなく、幹部であったが上祐氏の立ち位置もにたようなものに見える。