少子化ということはいわれて久しい。
この少子化にはいくつかの段階があって、独断と偏見でざっくりとわけると三段階くらに分けられるのではないか。
第一段階は結婚した夫婦の間の子供が少なくなる段階。かつては5人兄弟や6人兄弟も珍しくなかったが、これが2人兄弟や2人兄弟が普通になっていく。乳幼児死亡率が低下するとともに、教育に金と労力をかけることができる時代になったことがその背景にある。いわば豊かさの証左としての少子化の段階である。
第二段階は女性の高学歴化がすすみ、「生活のため」だけでなく「自分のライフスタイル」として職業を選び、結婚をしなくても生活できる女性が多くなったことにより少子化がすすんだ段階。いわゆる自立した女性は結婚したくないわけではないが、「適当な相手」が限られることや、その「適当な相手」と結婚するころには複数の子供を持つには難しい年令になっていたりする。
そして第三段階は非正規雇用や不安定雇用が増えたことによる少子化の段階。これは少子化というよりも未婚化とか非婚化といった方がよいのだが、自身が非正規雇用であるために結婚が難しいということだけれはなく、こんな就職も難しい世の中なので子供を持っても大変ではないかという結婚や出産へのインセンティブの低下も背景にある。生涯未婚率はますます高まり、近い将来には「結婚しない生き方」もごく普通になるだろう。大昔は不幸とみなされていた「独居老人」が今ではあたりまえになってきたように…。
この少子化や非婚化の影響についてはいろいろといわれているが、経済に与える影響という議論が主流のようである。それもそうであるが、もう一つ、人生観や価値観に与える影響というものがあるのではないか。つまりそれは「家」という概念の喪失である。先祖から連綿と続き、自分の後も子、孫と続いていく家はもはやない。となれば家の名誉とか恥という概念もなくなっていく。
こんなことを考えるのは、最近、勲章を売買することが行われているという話をきいたからだ。ネットで検索するとたしかに昔の陸海軍の勲章は売買されている。ならば、そのうち、今の勲章も売買されるようになるかもしれず、いやすでに売買されているのかもしれない。
こうしたものは本人がなくなった後も、家がつづいていけばその家の誉れとして大切に保管されるが、そうでなければ金に換えた方がよいと思う人もでてくるのだろうから。
そう考えると、国家の与える勲章とか名誉というものは家の存続とセットなのかもしれない。
そして「国家」についての観念もそこで自分の子孫が暮らしていくところとみる場合と、そうではなく自分の後には何も残らないと考えるのとではずいぶん違うのではないか。