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テーマ:ニュース(99464)
カテゴリ:事件・犯罪
昨年はエリート官僚の犯罪がたてつづけに起こった。一つは暴走車両の交通事故、そしてもう一つはひきこもりの息子殺し。そして公判では二人とも無罪を主張している。方や車の欠陥、方や正当防衛。保身というよりも、本当にそう思っているのだろう。早くに免許を返納していれば防げた交通事故よりも、元次官の息子殺しの方にやりきれないものをより感じる。
ああいう事件はいったいどうすれば防げたのだろうか。解決策はあったのだろうか。そして殺害された息子の側にたって考えてみる。池袋の交通事故では被害者の無念を代弁する遺族がいるのに、父親に殺された息子にはそういう人は誰もいない。母親でさえも、あんな息子しか生んでやれなくて夫に申し訳ないと証言をしていた。「あんな息子しか…」という息子の人生はなんだったのだろうか。 遊牧や狩猟を業とする社会で眼鏡も普及していなければ、近眼だって障碍に入るだろう。LGBTも時代や社会によっては病気とされていたが、今そんなことをいうと「差別」だと糾弾される。それと同じように人と少し変わったところがあってうまく付き合いができないとか集団になじめないという人間は昔なら「変わり者」と言われたが、今ではなんちゃら障害という立派な病名がつく。次官の息子もおそらくはそうした障害があり、子供の頃から友人が少なく、中学に入ると壮絶ないじめにあったという。いじめられストレスの多い生活でも体だけは成熟していくので、中学ともなれば「愚母」を殴り倒せるようになる。そしてそれが快感となっていくのだが、同時に、それは最後のよりどころになるべき母との絆も切れていくことでもあった。一方、優秀で社会的地位のある父親は息子にとっての自尊心のよりどころになる。金にあかせてアニメ専門学校、大学、大学院、パン専門学校と教育を受けさせていたようだが、それが就職につながっていくことはなかった。それでも父親は息子を見捨てずに、コミケで息子のアニメイラストを売る手伝いもしていたという。 事件の背景には7040問題、あるいは8050問題があり、元次官の息子は被害者ではあるが、その点では、川崎の通り魔や京アニメ放火と同根のもののように思う。さらにいえば次官の息子の場合には優秀でできすぎた父親が負担であり、劣等感の根源になったとも考えられる。 どうすればこの種の事件を防げたのかはなんともいえないが、やはり雇用問題、特にロスジェネ世代の雇用問題の解決は急務だろう。あと、この元次官の事件に関していえば親は親、子は子という感覚を子育て中にも徹底しておいた方がよかったように思う。「お父さんはえらいのだからお前も勉強しなくては」といった式の子育ては、なにげに弊害が多い。いい年して親の社会的地位でマウントするなどそれだけでアウトである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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