この頃、ヤングケアラーという言葉をよく聞く。年少の弟妹や祖母、あるいは病気の親などをみている子供や若者をいうらしい。兄妹も多く、平均寿命も短い時代には、弟妹の御守りをする子供も、病気の父母祖父母の世話をする子供も珍しくなかった。それどころかそうした世話がなくとも、家事は今より大変だったうえに、農業の手伝いや商家の子なら店番など子供の役割は、いくらでもあった。
戦後になって、家事も楽になり、家業のある家は減った反面、家族が小規模化し、問題をかかえた家庭ほど孤立しがちであるという状況がでてきたため、ヤングケアラーの問題というのがでてきたのだろう。こうした子供たちに対して、支援の動きがでてきたのはよいことであるし、こうした支援は勧めていくべきであろう。
そしてそのうえで思う。ヤングケアラーという言葉が独り歩きしていくことで、弟妹の世話をしている子や病気の親の看護をしている子、親に代わって家事を行っている子を、必要以上に「不幸な子」とか「可哀そうな子」と思うのはちょっと違う。中学生の頃、親が病気で家事を行っている子がいた。非常にしっかりした子で「偉い子」だとは思ったが「可哀そうな子」と思ったことはない。部活や友人との付き合いなど普通に中学生活を送っていたからかもしれないが、本人も自分自身については、不幸とか不運とかは思っていなかっただろう。
小さな子供ならともかく、思春期以降の人間にとって、好きなことを好きなようにやるとか欲しいものが与えられるというばかりが幸せではないだろう。自分が役に立っていると実感する幸せ、人の役に立つという幸せだってあるはずだ。家族の中で、ただ与えられているだけの中学生と、家族の一員としての役割のある中学生と、さてどちらが幸福なのかは、よくわからない。少なくとも後者の方がまともな大人になる確率は高いのではないか。弟妹を見ている子供や親の看護をしたり、家事をしたりしている子供が自分は不幸だと思い込み、幼い弟妹や病気の父母を恨むようになるとしたら、それこそ不幸だろう。
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