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カテゴリ:想い出
この間、久しぶりに新宿西口に行ってきた。
高層ビル群に向かう通路には動く歩道ができ、待ち合わせ場所として設置されたオブジェ「新宿の目」が消えていて、待ち合わせに使われている様子もなかった。ネットで検索すると2019年に何者かに壊され、その後修復されたとあるので、目が消えていたのは一時的だったのかもしれない。 ところで、この西口広場…その昔フォークゲリラなるものが出没していたことを記憶している人がどのくらいいるのだろうか。 1969年ごろだったか、あの西口にフォークゲリラが現れ、歌を歌うといつのまにか多くの人が集まって声を合わせて歌いだす。そうすると機動隊がどこからともなくやってきて「ここはひろばではありません~通路です~」と拡声器で呼びかけて群衆の解散を促す。そんな情景だったかと思う。 フォークゲリラの中からも、いくつか人気曲が生まれたし、「友よ」なんかはきっと今でもどっかで歌われているのだが、個人的に一番印象的だったのは「橋を作ったのはこの俺だ」という高石友也の歌う曲だった。これは調べてみるとアメリカに原曲があり、それをいちはやく日本に紹介したのが高石氏であったというわけである。 https://www.youtube.com/watch?v=p-0-cbWaHt4 https://www.youtube.com/watch?v=cF04JStqhgc 強いこの腕と体(原曲では肩と背中)で橋を作ったのは俺たちだ…というフレーズは好きだったのだが、実際には「強い腕と体」だけで橋がかかるわけではない。いや、それどころか、「強い腕と体」のかわりはいくらでもいる。足りなければ外国から調達すればよい…なんて声もどっかから聞こえてきそうである。 働く者の誇り、働く者の喜び、そして歌の最後でみんなで声をあわせて「この国を作るのは俺たちだ」と声を合わせたときの高揚感。今では想像にしくいのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>働く者の誇り、働く者の喜び、そして歌の最後でみんなで声をあわせて「この国を作るのは俺たちだ」と声を合わせたときの高揚感。今では想像にしくいのかもしれない。
でしょうね。「俺達」の中に、資本家や経営者のみならず、設計者や施工管理者等の知的労働を観念できないような誇りや喜びなんざ、ただの妄想であったということです。造ったのではなく、造らせて貰っていたのだ、テメエは労働力を売っただけ、誇りも喜びも所詮は無知のなせる業(笑) 同じ様に「働かざる者食うべからず」なんてスローガンもありましたね…違いますよね、「稼がざる者食うべからず」でしょ(笑)1円の足しにもならねえ「働き」なんて、労働としては無価値どころか有害、自己満の腕なんざ、重機で踏み潰してくれようってなもんだ。 (2022年05月22日 10時18分04秒)
鳩ポッポ9098さんへ
フォークゲリラは鳩さんの生まれる前でしたからねえ。意識も産業構造も当時とはすっかり変わりましたよ。働かざるもの食うべからずは大本は聖書にあるようですが、普及させたのはレーニンでこの場合の働かざるものとは不労所得で暮らす資本家のことでした。当時のロシアには救貧行政などなかったでしょうけど、生活保護バッシングにこの言葉が使われていると知ればレーニンもびっくりでしょう。働くものと言えば「労働者」と同義で、働く者の祭典と言えばメーデーのこと、今でもこの表現はあると思いますよ。 紹介したユーチューブの映像にあるような槌をふるう工場労働者、鎌をふるう農民も今では見ない光景ですね。産業構造の変化で工場に大勢の労働者がいるということも、その労働者が罷業すれば経営者が困るという状況も過去のものになっている。 まあ、この歌が流行った頃も、たくましい腕と体でかかるのは丸木橋くらいでしたけどね。 (2022年05月22日 16時45分50秒)
>強いこの腕と体(原曲では肩と背中)で橋を作ったのは俺たちだ…というフレーズは好きだったのだが、実際には「強い腕と体」だけで橋がかかるわけではない。いや、それどころか、「強い腕と体」のかわりはいくらでもいる。足りなければ外国から調達すればよい…なんて声もどっかから聞こえてきそうである。
働く者の歌、仕事自体を讃える労働賛歌を、揚げ足取り的に枝葉末節を捉えて、皮相的に貶めてはならない。強い腕と体は例示的なもので、これが頭脳であっても、単純労働でも複雑労働であっても、そんなことは枝葉末節なのです。 労働の喜び、人間が原始的に持つ仕事する事の遣り甲斐、そして一人だけでなく協同で物事を成し遂げる達成感、人間固有の労働、仕事を通しての人間向上、要するに労働歌、仕事の歌は、単なる労使対立などの狭い枠を超えているのです。 >働く者の誇り、働く者の喜び、そして歌の最後でみんなで声をあわせて「この国を作るのは俺たちだ」と声を合わせたときの高揚感。今では想像にしくいのかもしれない。 仕事の喜び、労働の喜びは今も昔も全く同じです。物事は上面だけ見てても,物事の本質を洞察することはできない。仕事とは生き物が生きるために為すべき証左なのです。 親鳥が雛に餌を持ってくること事、野良犬が将又はぐれ烏が明日の糧食を確保する事、それ全て労働です。退役企業人が、糧食のためでなく、今日の命を全うするために何かを為すこと、それも、それこそ、生きる証の仕事なのです。 そして結句, ♪この国を作ったのは俺たちだ、俺の先祖や子孫には偉い奴など一人もいない、 ♪作っているのは俺たちだ、歌っているのも俺たちだ♪この国を作るのは俺たちだ となるのです。 私が常々言っている如く、社長も運転手も、首相も守衛も同じ価値ある人間なのです。 小遣いが1億あろうが1000円であろうが、そんなことは下らい枝葉末節なのです。 貴方が今生息する一隅を照らすことが、それが貴方の仕事の全てなのです。 他者の為に貴方の今いる席を譲ること、これに優る優しさ、価値ある行為はないでしょう。 (2022年05月23日 16時25分44秒)
·曙光さんへ
そうですね。たぶん人間が社会的動物である以上、何かの役にたちたいというのは本能であり、人間の社会は様々な人々が動かしているハーモニーともいえるものでしょう。その意味で曙光さんのおっしゃることには同意です。 最近のエッセンシャルワーカーという言葉にもそうした感覚があるのでしょうね。 (2022年05月23日 17時34分10秒)
この歌は明らかに資本家や経営者、知的労働を敵視した歌ですよ、現場で働いている俺達って偉いという意図が、以下の歌詞からはっきりと見て取れる。
>誰がこの祖国を創ったのか 偉い社長さんや代議士さんが 命令したから出来た訳じゃない 俺達がいたから出来たのだ >俺の先祖や子孫には 偉い奴など一人もいない 石炭掘って町を作り この祖国を作ったのは俺達だ まさに、 「大阪城は誰が作ったの?」 「豊臣秀吉」 「ブブー 答えは大工さんです」 的な稚拙な言い回しだ。人間の労働力なんて、所詮貨幣的価値に換算されてナンボなんですよ。質の向上は価格の向上に寄与してナンボ、そうでなければ只の自己満足だ。 機械の方が生産性が上回っていれば、人間の感情なんてブルドーザーに踏み潰されて当然です。この橋を作ったのは俺達だ…嘘です。 「この橋を作らせて貰ったのは俺達だ、でも、俺達の息子は橋を作らせて貰えるかどうかもわからねえ…」 現実を見ればこうぼやくしかねーだろうね。 (2022年05月23日 18時20分35秒)
閑話休題
(掲題から飛躍しますが、人間、国家、国際、政治洞察の根っこは同じです。) 5.23日、岸田バイデン日米首脳会談は過去の高得点だった中曽根リーガン、小泉ブッシュ、安倍トランプ会談を上回る、歴代最高得点の首脳会談でした。 緊迫するロシア、中国、北朝鮮、そして石垣宮古と至近距離にある台湾有事における、日本の安全保障において、現在米国から引き出せ得る最大の回答をバイデンから得たと云ってよいでしょう。 おまけとしては、日本の国連常任理事国に入ることを支持するとバイデンに言わしめたことです。ロシアの国連追放の後は、日本がロシアに替わる役割を果たすことが、アジアで世界で日本に求められていることを日本国民はもっと自覚すべきです。 更におまけとして、来年の先進国首脳会議の開催場所を広島でと岸田首相は提言しました。ロシアの核使用を仄めかす、キューバ危機以上の世界の核危機にあって、日本ができる世界への核抑止への最大のメッセージとなるでしょう。 経済分野ではTPPを脱退した米国をIPEFで国際協調するよう呼び戻し、米日で中国を経済面で牽制、凌駕することは、経済安全保障からの点からもきわめて重要でした。 外相経験豊富の外交の岸田の手腕が如何なく発揮されたバイデンとの会談でした。 日本国民の為すべき事は、自国は先ず自国で守る意識を強固に持つことに尽きるでしょう。具体的には中国、ロシア、北の脅威を見据えて、金(防衛費)、物(軍備)、法改正に、ロシア、中国、北朝鮮に侮られ虚仮にされることのないように最大限尽力することです。 それにしても岸田首相の内閣支持率の高さは空前絶後ですね。2021.6月内閣発足時50%弱が、10月に60%を超えて、7か月連続60%以上で直近の5月では過去最高の68.9%(FNN)です。 発足から1年を経て通常どの内閣も支持率を急落させる時期に、1年後の今のに最高の支持率をたたき出すとは驚きです。 如何に優秀だった安倍首相も菅首相も支持率が低落すれば、退陣に追い込まれます。その点岸田首相の野党、マスコミに対する受け答えは、野党,マスコミの低レベルな質問に安倍氏、菅氏の如く、苛(イラ)つくことがないことが、高支持率に繋がっている最大の要因と云えるでしょう。 私の総裁選での期待は1位高市、2位河野、3位岸田でしたが、高市、河野では時期尚早で、現状では岸田が結果的には最適任だったと云えるでしょう。 (2022年05月23日 23時03分27秒)
鳩ポッポ9098さんへ
この歌の流行った60年代後半はまだ働くもの≒労働者であり、資本家は不労所得者というイメージでしたし、インテリゲンチャは数はあまり多くないというイメージでした。実態はともかくとしてですが。 まあ、もっと古い時代の「町から村から工場から」をきいていただけばそのあたりの感覚もわかるかも。 https://www.youtube.com/watch?v=5_8ssq4_0Rk フォークゲリラではなく、うたごえ喫茶で歌われた曲ですが。 今では産業技術も高度化して、労働の内容が単純作業と高度な専門職に二極化してきていますので、鳩さんのように考える人が増えているのでしょう。熟練工なんてのも死語になってきていますしね。 (2022年05月24日 07時03分02秒)
>たぶん人間が社会的動物である以上、何かの役にたちたいというのは本能であり、人間の社会は様々な人々が動かしているハーモニーともいえるものでしょう。
私の言いたいことを言い当てて頂き有難うございます。 まさしく、何かの役にたちたいというのは本能であり、人間の社会は様々な人々が動かしているハーモニーともいえるものでしょう。 >最近のエッセンシャルワーカーという言葉にもそうした感覚があるのでしょうね。 「医療従事者」に限らず、必要な人や物資を運ぶ「ドライバー」「塵芥回収業者」「電気、水道管補修業者」「スーパー店員」他社会を支えるエッセンシャルワーカーによって、社会は維持されています。 仕事とは仕事である限り、すべてが必要性(必要不可欠の要素)があるから仕事なのです。言い換えれば必要性がない仕事は報酬を返上すべきでしょう。エッセンシャルワーカーと遠い人が企業の社長なり、組織の長と云えるでしょう。 それ故に社長も運転手も理想としては同一賃金でよく、ピタミッド組織でなくフラット組織が望ましく、現場、現業、現品が、すべての仕事の中心軸として回るべきなのです。 ただ私はスタッフ、参謀を軽視する者でなく、オフィスワーカーは少なくとも一人で、現業の10人分の仕事はこなしてナンボと言っているのです。 (2022年05月24日 17時42分42秒) |