以前風土記を読んだとき、神話の時代から今と同じ地名があることに驚いたことがある。しかし考えてみれば驚くようなことではない。最古の書物古事記にも、地名付解なのだが、三重や焼津といった地名の由来が出てくるし、国生み神話では四国四県がそのまま出てくる。四県はそれぞれ神となっていて、現在の愛媛の県名はそのまま古事記の女神の名に由来する。古事記が編纂されたのは712年、風土記編纂の命令は713年であるが、両方とも基は口承であることを考えると、実際の成立はずっと遡るであろう。
新潮社の日本古典文学全集の万葉集でも当時の地図が掲載されている。
その地図では、現在の東京は多摩と荏原、豊島、足立、葛飾となっており、足立と葛飾の範囲はずっと広い。葛飾の真間の手古奈が有名であるが、この頃の葛飾は上総も入っていた。また、荏原の南西には橘樹、都筑と久良という地があり、これも武蔵の版図に入っている。都筑とか久良岐という地名が横浜にあるが、関係があるのだろう。謎なのは橘樹である。こうした地名は今はなさそうだが、橘樹神社と言うのが横浜と千葉にあり、弟橘姫の物語に関係しているという。万葉時代にあった橘樹という地名がこれに関連しているのかはわからない。ただ見当をつけると、多摩川沿いの世田谷区のあたりには古墳が多くのこっており、多摩川中下流域は古くから開けていた。ヤマトタケル神話が大和王権の東方への勢力拡大の神話的表現だとしたら、弟橘姫の物語は橘樹あたりの豪族が大和王権に協力したことの反映なのかもしれない。(曙光さんの御指摘により記述を変更しました。)
地名の中には不動産開発業者が命名したような新しいものもあるが、一方では歴史以前からあったのではないかと思うくらい古いものもある。そうした古い時代の地名が今に残っているというのも不思議な気がする。