その昔、日本では欧米に比べて法曹の数が少ないという理由で弁護士の数を飛躍的に増やしたことがあった。その結果起きたのは生活できない弁護士の増加である。そもそもこうした弁護士不足の議論は市井からわきおこったものではなかった。無医村で悲鳴をあげている地域はあっても、弁護士がいなくて困っている町というのはきいたこともない。日本が本格的な訴訟社会になることを望む人は今も昔もあまりいない。
それとは全く違うのだが、現在いくつかの職種でも人材あるいは人手不足が問題になっている。これもその不足の議論がどこからでてくるかを考える必要がある。例えば、タクシーの運転士が不足しているので、その解消のために二種免許の試験を外国語でも受験できるように改正するという。相変わらず人出不足≒外国人の採用という発想である。いくら円安日本でも世界にはまだまだ貧しい国もあるので、やってくる外国人はいるかもしれない。しかし、本当に需要者からみてタクシーの運転手が不足しているのだろうか。タクシーがつかまらなくて困っているという話はあまりきこえてこない。都会以外ではタクシーはそうそう走っていないし、それを前提に生活している。都会ではタクシーが無理なら別の交通機関がある。おそらくこの運転士不足と言う議論はタクシー運営会社からきているのではないか。今の経営体質では低待遇の運転士を多数雇用して利益がでるわけなので、運転士がいなければ困る、外国人でも来てくださいというわけだ。しかし、利用者の側で見れば、人口減少と高齢化の二重の消費縮小の上、財布のひもも固くなっていてタクシーに乗る需要そのものが減っている。そうだとすれば、運転士を増やすというよりも、むしろタクシー運賃を上げ、タクシーはたまの贅沢にした方が、運転士の待遇も向上し、人手不足の問題も解決するように思う。
同じように人手不足の業界である介護の場合には需要そのものは今後も増え続ける。この分野でも介護士の試験を外国語でも受験できるようにするなど、外国人を導入し、よりハードルを下げる議論が行われている。しかし、その結果、介護労働環境にどんな影響を与えるかという検討はあまりおこなわれていない。日本人の志望者はますます減少するように思う。介護労働者に負担が大きいのは入浴排泄の介助なのだが、これは介護者だけではなく、介護される側にも負担だということに留意する必要がある。排せつの介助をされるようになると、急速に痴呆が進むという話を聞いたことがあるが、それもそうであろう。極力機械できるものは機械化し、人力に頼らないですむような試みをしてはどうなのだろうか。
いずれにしても、人口減少、高齢化、人材(人手)不足の方程式は難しい。めざす解は人口増と生活できる年金の維持ではなく、高齢になっても働けるうちは働くのが当然という社会なのかもしれない。