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2024年06月22日
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カテゴリ:読んだ本


「枕草子」を読み終えた。昔読んだときには伊周のイケメンぶりが強調されていた箇所が印象的で、極論すれば、その印象しかなかったのだが、あらためて読んでみると、その箇所は最後近くの宮仕え間もない頃の回想の段で、自分の局に退出するのを伊周が送っていく場面である。月が明るく、伊周の直衣が真っ白に見え、そこで伊周は「遊子なお残りの月を行く」という漢詩の一節を誦している。伊周の漢籍への造詣の深さがにじみでているわけだが、そんな様子を見て、「いみじうめでたし」というくらいに清少納言は感動する。中流貴族出身の清少納言にしてみれば、定子サロンは夢のような世界にみえたことだろう。おまけに伊周のような教養あふれる貴公子をみてしまうと、人がよい体育会系の元夫の橘則光などふっとんでしまう。ただ、清少納言がこの段を書いた時には関白家はすっかり没落して、伊周は戦々恐々と道長の機嫌をうかがって生きていた。なにしろ碁を打ってさえ勝ちを遠慮するくらいに縮こまっていたので、とてもかつてのさっそうとした貴公子の面影はない。なんという世の変転…しかし、それでも、かつてのあの月下の貴公子の姿だけは筆で残しておきたい。書いた時には、きっとそんな気持ちだったのだろう。
枕草子が世に広まったきっかけは、跋文によれば、清少納言が私邸にいる時に、源経房が訪問し、その際に書いたものをうっかりと端近くに置いたままにしておいたのが、持っていかれてしまって世に広まったとある。それまでにも書き溜めたものは中宮や他の女房には見せていただろう。そもそも清少納言に紙を賜ったのは定子であり、そうであれば、当然あの紙にはどんなことを書いたのと中宮定子は聞いたはずであろうから。定子サロンの枠を越えて、枕草子が世にひろまったのは経房のせいなのだが、いったい彼が清少納言の私邸にまでやってきた理由はなんだったのだろうか。経房は道長とも非常に近い関係にあったが、いくら清少納言でも一女房の去就が政治的に意味を持つとも思えないので、まさか清少納言を道長方に引き入れようという思惑ではないだろう。単なる定子サロンでの話し相手なら、なれなれしすぎるし、男女の仲というのも考えにくい。このあたり、平安時代の貴族社会の感覚というのはわからない。
枕草子の段は随想的部分、回想的部分などいろいろな分類ができるのだが、不思議なほどに作者個人について記載した箇所はない。清少納言は枕草子の中で、蜻蛉日記や更級日記の作者のように自身の人生は語っていないのである。多くは四季の風物や祭り、貴族社会での人物評、そして中宮を中心とする出来事や回想など、共通の話題がほとんどとなっている。それはちょうど現代のジャーナリストが私事を書かないのと同じようなことなのかもしれない。枕草子は一種のジャーナルとして当時の貴族社会で読まれ、後世に残っていったのであろう。





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最終更新日  2024年06月22日 17時18分42秒
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伊周の評価も随分周りと違いますね   鳩ポッポ9098 さん
>ただ、清少納言がこの段を書いた時には関白家はすっかり没落して、伊周は戦々恐々と道長の機嫌をうかがって生きていた。なにしろ碁を打ってさえ勝ちを遠慮するくらいに縮こまっていたので、とてもかつてのさっそうとした貴公子の面影はない。

まあ、ここは男性と女性の感性の違いか、小右記をはじめ、同時代の書物で伊周を高く評価したものは少ないですね。文才や古典素養がある一方で、政治能力や人物的な器量の面では、弟の隆家に大きく見劣りします。弟隆家は、没落後も、むしろ権力者である道長に気を使わせる様な所があったし、実際に政治的な実績があるが、伊周は自分が権力を持っている時は道長と張り合って居丈高であった癖に、権力を失うと、媚びへつらいと逃亡を繰り返した情けない男ですから。

>単なる定子サロンでの話し相手なら、なれなれしすぎるし、男女の仲というのも考えにくい。

いや、清少納言は他にも複数の貴族と疑似恋愛の関係にあったので、その一人でしょう。和泉式部の様な実際の肉体関係にならない様、うまくたちまわっていたらしい事は想像できます。 (2024年06月22日 19時31分45秒)

Re:伊周の評価も随分周りと違いますね(06/22)   七詩 さん
鳩ポッポ9098さんへ

男女がいる宮廷サロンでは、疑似恋愛が普通だったのでしょうか?友情なんてのは後世のあとづけのようですし、経房も「そなたが忘れられなくて…」などといっておしかけてきたのかもしれません。
伊周は母に似て学才のあったことは間違いないですし、今の秀才にもときおりみられるようなその分、神経質で器量にはかけるタイプだったのかもしれません。容姿もたぶん端麗で、頭の良い人におうおうあるような皮肉っぽい口調で新参の清少納言をからかったりもしれいます。清少納言にしてみれば雲のうえのイケメンにかまってもらえただけでも嬉しくて…といったところでしょう。
隆家は政治的能力は兄よりもあり、自分でもそれをわかっていた。ただ、関白家の中では長子の伊周の方が優先される。道長は自分も道隆との間が似たような関係だったので、隆家の不満に感づいていた。長徳の変は道長が黒幕で隆家も共謀関係とも思ったのですが、さすがに隆家はそこまで悪者ではないでしょうね。 (2024年06月23日 07時32分25秒)

隆家という人   鳩ポッポ9098 さん
>隆家は政治的能力は兄よりもあり、自分でもそれをわかっていた。ただ、関白家の中では長子の伊周の方が優先される。道長は自分も道隆との間が似たような関係だったので、隆家の不満に感づいていた。長徳の変は道長が黒幕で隆家も共謀関係とも思ったのですが、さすがに隆家はそこまで悪者ではないでしょうね。

まあ、書物に残る記述でしか推測できませんが、隆家という人は、あまり権力欲の強いタイプではなかったのでしょう。それよりも、自分のなすべきことに正直な性格だったものと思います。そして、型破りな行動をしても憎まれない不思議な魅力を持っていた、「さがな者」の二つ名も当時としてはある種の愛称だったのでしょう。

そもそも伊周と隆家には腹違いの兄が二人おりましたが、これらと対立したという記録はありませんし、父の期待を一身に受ける兄伊周に、いつもニコイチで行動していて、特にその事に不満を持っていない様な印象です。

偏狭で細かい事に拘り、周囲との軋轢が多く記録に残る伊周とは違って、兄の失脚・死亡後も隆家自身が不平不満を言ったり、周囲の人間と激しく対立したりといった記録はあまり見えません。流石に敦康親王立太子に失敗した時は、天皇に不平を漏らした記録があるが、叔父道長から政治的ライバルと警戒されながらも、決定的な対立を招く事はありませんでした。むしろ、敦康の育ての親であり、道長の実の娘でもある彰子のほうが権力に取り憑かれたような父親の態度をひどく恨んだとあります。また後年、刀夷を撃退した後も、昇進・昇格・恩賞にはあまり興味が無かったようですし、自分の職分以上の権力欲はそれほど強くなかったと見えます。

それでいて、皆が道長の権力にひれ伏し、媚び諂う中にあっても、実務官僚の実資と共に、筋を通す剛直さを持っていて、むしろ道長のほうがこの聞かん坊の甥に気を使っていたフシがあります。

性格的に道長とよく似た所がありながら、この叔父のように権謀術数を弄さないところが隆家の魅力的な部分だとボクは思います。 (2024年06月24日 10時50分27秒)

Re:隆家という人(06/22)   七詩 さん
鳩ポッポ9098さんへ
たぶんそうだったと思います。
権力闘争と言っても皆が皆トップを狙うのではなく、未来の勝者を見極めてうまく生き残りを図ろうとする生き方もけっこうあったはずです。
この時代は小説にするとなかなか面白いと思うのですが、ドラマとしては動きが少ないのが難点ですね。
(2024年06月24日 14時47分24秒)


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