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カテゴリ:雑感
その昔、遺跡捏造事件というものがあった。民間出身の研究者がたてつづけに旧石器時代の遺物を見つけたのだが、のちにそれが捏造と発覚した事件だ。おそらく最初の発見は本物だったのだろう。それが「神の手」と持ち上げられることとなり、ひっこみがつかなくなって捏造ということになったのだと思う。この民間研究者は一時は講演などで高収入を得たのかもしれないが、捏造は、それが目的というよりも、周囲の期待に応えないと申し訳ないという心理の方が強かったのかもしれない。偶然が左右する発掘の世界で、神の手などというものがあるわけもなく、捏造を見抜けなかった学会にもかなり問題があったのではないか。 犯罪捜査の証拠捏造も似たようなものなのかもしれない。かつては名刑事という人があちこちにいたのだが、そうした名刑事も評判が立つとどうしても期待に応えねばと思い、強引な捜査をしがちになる。静岡県警にもそうした名刑事(後にはトカゲの尻尾?)がいて、自白をとるためにかなり強引なこともやっていたという。名刑事退職後もそうした捜査手法は受け継がれ、それが袴田事件の冤罪の一因になったのだろう。そして袴田事件の公判が始まり、当初の証拠物の証明能力が疑われ始め、無罪判決の出る可能性がでてきた。捜査員達はあせったことだろう。冤罪事件の責任を問われ、降格されたうえ、55歳で亡くなった名刑事の末路は知られている。無罪判決がでたら自分らも同じことになるだろう。追い詰められての捏造。証拠捏造があったとしたら、それを行ったのは少数であったとしても、見て見ぬふりをした人間は多かったのではないか。当時の捜査員で噂くらいは聞いた人はいるだろうし、中には存命の人もいるかもしれない。警察官も証拠捏造だけなら罪悪感があるが、その罪悪感をふきとばすのは、組織のためという論理と、そして彼が真犯人に間違いないという確信であろう。後者は罪悪感を消すために、証拠捏造後ますます強くなったのではないか。 袴田事件からは本当に長い年月がたっている。国家権力の側で、今発言をしているのは、無実と思いながらも有罪判決にかかわった裁判官や再審決定にかかわった裁判官であり、彼らはまるで美談の主のような扱いである。そして当時の捜査員や死刑判決にかかわった裁判官や検察官の発言は聞こえない。歳月とはそういうものであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年10月10日 13時00分06秒
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