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親子問題で悩む方のお話を聞くことも多いし、夫婦問題でお聞きしていても何れ生育時の親子問題に行き着きます。夫が悪い、息子がダメ、妻がおかしい、親が異常・・・その多くは家族問題が様々な形に変化しながら連鎖しているのが見えます。
この連鎖を断つことはできるのか・・少なくともパワーコントロールという価値観の中で生まれた問題ですからパワーコントロールという価値観の中では問題は解決することはないでしょう。世間の支援では誰かを悪者や異常者にして排除するか処罰するか治療構造に乗せるかして問題解決を図ろうとします。けれどその視点では問題がシステム化し、問題が変遷するだけで解決することはありません。 私は子供のころ勉強ができず、しようともせず教師といつも揉めてたけれど、家庭ではそのことについて一切指摘も躾もされず、普通に家族で食卓を囲んでいました。家庭では私は問題がなかったし、そんな毎日で育ったから、私が問題ではなく、私を理解し受け入れようとしない教師の問題だと私は理解し、悪意もなく教師と争っていました。私の両親はただ一緒に飯を食うだけだけれどその状況を言語化すれば「大丈夫」でしょうか。 その「大丈夫」を私はクライアントに伝えます。学校に行かない?大丈夫・・DV?大丈夫・・・妻の鬱?大丈夫・・無責任なようだけれど、私は「大丈夫」を語ります。昨日、子供のことで悩み苦しんでおられた方や妻の鬱や本人のDV加害で悩んでおられる方のお話を聞かせていただきました。もちろん私は大丈夫と言い続けるし、私が問いかけるのはどうして学校にいかないとダメなのか・・・どうして妻が鬱なら問題なのか・・それらの問題をなくそうというのではなく、なぜそれが問題だと考えてしまうのか、その辺りにフォーカスして対話を進めていきます。問題が問題だ・・・ナラティブのドグマです。認知を変えるという言い方もできるでしょう。 近代の価値観に縛られ私たちは悩み苦しみます。近代だけではないかもしれません。般若心経でもそんなことを言ってるように思います。悩みや苦しみは状況のの問題ではなく、認知や価値観、要するに囚われ思い込みから生まれるのだよと諭しているのでしょう。 昨夜も、大丈夫、あなたの不安や絶望も当然だし、否定する必要もない、けれどその思いから解放されて自由に生きることはできるし、一人では不安だろうから、一緒に考えていけたらいいね・・・とお話を終わらせていただきました。常識や社会システムに縛られないわたしはその言葉が自由に使えるし、使ったところで私は不一致になりません。彼らと同じ世界を生きているのだものねぇ。システムの中では「大丈夫」と言った途端に責任を負うことになるから、安易には言えないよねえ。 そんな昨日の私、デスクワークもいろいろあってバタバタしてたけれど・・ちゃんとお菓子は作りましたよー。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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