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気分をだしてもう一度

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June 23, 2009
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ブログには、あまり重いことや辛いことは書きたくないと思っています。
文章を書くのがへたくそだし、想いを言葉にすることにいつも苦労しているし、
だから伝えきれないと思うし、それにキャラじゃないかなと思って。


それでも時々書かずにはいられないことがあって、
我慢できなくて、わたしが書いたことについて読んでくださったかたはどう考えるんだろう、どう感じるんだろうと、結局はそこなのかもしれませんが。


なにが言いたいのかと言うと、
日付は変わりましたが今日6月23日は沖縄戦終結から64年目の日です。


約18万8000人の方が亡くなり、そのうち約半数の9万4000人が沖縄県民だったと言われていますが、もっと多いという説もあります。
攻撃のあまりの激しさに島の形が変わったとさえ言われているそうです。


地上戦のむごさ、ひどさ、はげしさは、もうテレビなどでみなさんご存知ですよね。


戦争が終わって64年たっても、沖縄にはまだまだ基地や米軍による事件など、問題がたくさんあることもきっとみんな知ってます。


大阪に住む無知なわたしは、基地なんて早くなくしてしまえと思いますが、
基地がなくなると生活できなくなる人がいると聞くと、複雑な気持ちになります。


沖縄にはまだ2500トンもの不発弾が残っているそうです。
沖縄には父方の親類が住んでいます。
昔はいとことも文通などで交流していましたが、だれそれの畑から不発弾が見つかったというのは、よく聞いた記憶があります。


戦争の話を祖父母から聞いたかというと、ちゃんとは聞いてないような気がします。
でも、聞かないでも耳に入って残っていて、今日のような日は辛いです。


あの強い日差しのなか、沖縄の人たちはどんな思いで、米軍から、日本兵から、逃げていたんだろうと思うと辛くて、苦しくて、どうしたらいいのかわからなくなります。


母はまだ赤ちゃんだったので疎開しました。
船に乗って。


子供優先だったので、赤ちゃんだった母は母親(わたしの祖母)と船に乗り、「次の船で行くからね!」と別れた祖母(わたしの曾祖母)の乗った次の船は米軍に沈められました。
祖母はよく、わたしのお母さんが赤ちゃんだったからあの船に乗れた。
もう少し大きかったら次の船で殺されてた。
だからわたしのお母さんに命を救われたと言っていました。


祖母は9人兄弟でしたが、戦争で半分の兄弟を亡くしました。


祖父は兵隊として外国に行っていたようです。
わたしには祖父の戦争に関する話の記憶があまりありません。
ただ、「日本兵は本当にひどかったよ。」という言葉だけです。


沖縄のかたは、当時方言ばかりで標準的な言葉を話せる人が多くはなかったようですね、
だから日本兵にとっては、意味不明な言葉を話すから「スパイ」扱いをされたという話を聞いたことがあります。


祖父も9人兄弟でしたが、戦争で6人なくなりました。
両親も亡くなりました。


父はとても小さかったようです。
静かな人だったので、戦争の話なんて聞いたことはありませんでした。
だから、父のほうの祖父がなぜ亡くなったのかや、戦争の被害はよく知りません。


これは母が教えてくれたのですが、父はある日友達と水を汲みに行ったそうです。
水を汲んだ帰り道、米軍の戦闘機がきました。
上から爆弾だったと思いますが、なにか落とされたそうです。
そして、そこにはなにもなかったそうです。
友達も跡形もなくなっていたそうです。


でも、父はよく学生の頃、米軍基地に行ってアイスクリームをもらったと言っていました。
そして、若い頃はバスケットボールをしていたそうです。


いとこもそうでしたが、沖縄に住んでいる人って、少しアメリカっぽいんですよね。
わたしの接した人だけかもしれませんが・・・。


とにかく、こういう戦争にまつわる話はほんとに、ほんとにたくさん聞いていて、
大阪で生まれ育ったわたしでもこんなに聞いているんだから、沖縄で育った人たちはもっとリアルに感じているんだろうなぁと思います。


そして今日のような日を、どんな気持ちで迎えたのかと、思います。


戦争はなくならないという人もいますが、戦争で犠牲になるのは一般民衆です。
戦争がしたいなら、どうかどこかで広めのドームか何かを作って、そちらで発言権のあるお偉方たちが男らしくさしで戦っていただきたいものです。
まずは国民ではなく、自分がカラダを、命をはらなくては。


こちらはニュースで見つけた喜屋武さんの幼い頃の体験です。
よかったらクリックして読んでください。
今の人は知りませんが、祖父母などの昔の人は、長男をとても大切に考えていました。


とても辛い、悲しい出来事ですが、それを思うと、このお母さんの行動も仕方なかったのかなぁと思いました。
だけど、こういうことをさせてしまう戦争が許せないです。


わたしにできることは、わたしの知ってることを伝えることだけです。
きっと、ぽてちゃん世代の子達が大きくなる頃には、世界はもっと狭くなって、
国境もほとんどなくなって、みんな仲良く、小さな争いはなくなっていると思いたいです。


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Last updated  June 24, 2009 02:02:57 AM
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