子規と怪談(八雲の十六桜との関係)
子規は、怖い話をあまり好みません。子規は「子供の時幽霊を恐ろしいものであるように教えると、年とってもなお幽霊を恐ろしいと思う感じがやまぬ(病牀六尺 明治35年8月16日)」と考えていて、これは学生の頃に書いた『妖怪談』に「子を養うものはなるべく子に向かって妖怪変化のごとき荒唐無稽の談話をなすべからず。何となればこれらの話を聞きなれし上はいわゆる先入主隣てその子が成長してのち、妖怪なきの理を知るといえども、燐火(マッチ)を見て恐怖し暗夜独行して震慄するがごとき少なからず。すなわち感情は理屈によりて全く支配せられぬがためなり」とあることからも、丈夫な肝っ玉をもっていたとはなかなか考えられません。 幽霊が登場するのは、明治34年10月13日の『仰臥漫録』です。一人になった子規は、硯箱にある小刀と千枚通しで自殺を考えます。子規は「余は俄かに精神が変になってきた。『さあたまらんたまらん』『どうしようどうしよう』と苦しがって少し煩悶を始め」、「やむなくんば、この小刀でものど笛を切断できぬことはあるまい。錐で心臓に穴をあけても死ぬるに違いないが、長く苦しんでは困るから穴を三つか四つかあけたら直ぐに死ぬるであろうかと色々に考えてみるが、実は恐ろしさが勝つのでそれと決心することもできぬ。死は恐ろしくはないのであるが、苦しみが恐ろしいのだ」と書き付けています。この文の最後は「古白曰来(古白曰く来たれ)」で、病床の子規は古白の囁きを聞いていたようです。※古白の幽霊はこちら※子規と幽霊・妖怪はこちら※子規と閻魔はこちら 他にも閻魔が登場する文に、明治22年9月に書いた『啼血始末』、明治34年5月21日の『墨汁一滴』などがありますが、明治33年1月10日の「ホトトギス」に発表された『犬』があります。自分の運命を振り返ると人肉を食らっていた犬が、自らの生き方を反省して仏に転生を祈ります。その願いを聞き届けた阿弥陀如来は犬を四国霊場を回るように諭します。寺を一つ詣れば罪が一つ消え流というので、霊場を巡り、あと一つで結願という日、犬は死んでしまいます。そして、犬は人間に生まれ変わります。しかし、自分のおかした罪の深さは消えず、病気と貧乏で一生苦しめられるというのです。 子規は考えます。自分の前世はこの犬でなかろうかと……。その証拠に「足が全く立たんので、僅かに犬のように這い廻っている」子規がいます。 ○長い長い話をつづめていうと、昔天竺(てんじく)に閼伽衛奴(あかいぬ)国という国があって、そこの王を和奴和奴王というた、この王もこの国の民も非常に犬を愛する風であったがその国に一人の男があって王の愛犬を殺すという騒ぎが起った、その罪でもってこの者は死刑に処せられたばかりでなく、次の世には粟散辺土(ぞくさんへんど)の日本という島の信州という寒い国の犬と生れ変った、ところが信州は山国で肴などというものはないので、この犬は姨捨山へ往て、山に捨てられたのを喰うて生きておるというような浅ましい境涯であった、しかるに八十八人目の姨を喰うてしもうた時ふと夕方の一番星の光を見て悟る所があって、犬の分際で人間を喰うというのは罪の深いことだと気が付いた、そこですぐさま善光寺へ駈かけつけて、段々今までの罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳に汝が願い叶え得さすべし、信心怠りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善哉善哉、と仰せられると見て夢はさめた、犬はこのお告げに力を得て、さらば諸国の霊場を巡礼して、一は、自分が喰い殺したる姨の菩提を弔い、一は、人間に生れたいという未来の大願を成就したい、と思うて、処々経めぐりながら終に四国へ渡った、ここには八十八個所の霊場のある処で、一個所参れば一人喰い殺した罪が亡びる、二個所参れば二人喰い殺した罪が亡びるようにと、南無大師遍照金剛と吠えながら駈け廻った、八十七個所は落ちなく巡って今一個所という真際になって気のゆるんだものか、そのお寺の門前ではたと倒れた、それを如何にも残念と思うた様子で、喘ぎ喘ぎ頭を挙げて見ると、目の前に鼻の欠けた地蔵様が立ってござるので、その地蔵様に向いて、未来は必ず人間界に行かれるよう六道の辻へ目じるしの札を立てて下さいませ、この願いが叶いましたら、人間になって後、きっと赤い唐縮緬の涎掛を上げます、というお願をかけた、すると地蔵様が、汝の願い聞き届ける、大願成就、とおっしゃった、大願成就と聞いて、犬は嬉しくてたまらんので、三度うなってくるくるとまわって死んでしもうた、やがて何処よりともなく八十八羽の鴉が集まって来て犬の腹ともいわず顔ともいわず喰いに喰うことは実にすさましい有様であったので、通りかかりの旅僧がそれを気の毒に思うて犬の屍を埋めてやった、それを見て地蔵様がいわれるには、八十八羽の鴉は八十八人の姨の怨霊である、それが復讐に来たのであるから勝手に喰わせて置けば過去の罪が消えて未来の障りがなくなるのであった、それを埋めてやったのは慈悲なようであってかえって慈悲でないのであるけれども、これも定業の尽きぬ故なら仕方がない、これじゃ次の世に人間に生れても、病気と貧乏とで一生困くるしめられるばかりで、到底ろくたまな人間になることは出来まい、とおっしゃった、…………………というような、こんな犬があって、それが生れ変って僕になったのではあるまいか、その証拠には、足が全く立たんので、僅かに犬のように這い廻っているのである。(犬) 子規の俳句が小泉八雲の『怪談』「十六桜」の冒頭に「Uso no yona... Jiu-roku-zakura Saki ni keri!」とローマ字で綴られています。これは、子規の明治29年の作で、松山の龍穏寺の桜を詠んだ「うそのやうな十六日桜咲きにけり」という句です。八雲が紹介した句とは少し違っていて、「十六さくら」ではなく「十六日桜」で、岩波文庫の『子規句集』(高浜虚子選)には「松山十六日桜」(いざよいざくら)のルビがふられています。 この年は、子規が日清戦争の取材で金州に赴き、その帰りの船で吐血して頭の病院で療養、松山に帰郷して漱石の下宿で療養していた時の句です。 八雲が、なぜこの句を知っていたのかはわかりませんが、子規の門人である大谷繞石(漱石にツグミを送った人物)は松江中学時代の小泉八雲の教え子で、八雲は大学時代の繞石に、学費を援助するかわりに日本研究の助手としていたといいます。もしかしたら、子規と八雲、漱石の運命の輪が結ばれていたということです。子規が運命論者であるのも、こうした偶然の力を信じていたからかもしれません。 うそのよな十六ざくら咲きにけり 伊予国は和気郡に、たいそう年を経た有名な桜の木が有り、毎年一月十六日(古い太陰暦)に──その日に限って──開花することから「十六桜」あるいは「十六日桜」と呼ばれている。このようにその木は大寒の頃に花を咲かせる──とは言え桜の木の自然な習性は、開花を思い切る前に春の季節を待つものだ。しかし十六桜は自分では無い──少なくとも本来ではない──命で開花する。その木にはある男の念が宿っている。 彼は伊予の侍であったが、木はその屋敷の庭で成長し、かつては通常の時期に開花していた──つまり三月の末か四月の初め頃である。子供の頃にはその木の下で遊び、両親と祖父母や先祖達は百年あまりに渡って花の季節のたび、鮮かに彩色された紙の短冊に賞賛の詩を記しては花の咲く枝に吊るした。自身もかなりの老人となった──全ての子供達より長く生きて、この世で愛するものはあの木の他に残されていなかった。そして、どうした事か、ある年の夏、その木が枯れて死んでしまった。 老人は木を想い悲嘆に暮れた。それから親切な近所の者達が、見事な桜の若木を見つけ庭へ植えてくれた──これが慰めになると期待したのだ。皆に感謝して喜んでは見せた。けれど老木をこよなく愛していたので、それが失われた慰めになるはずも無く、本心は苦しみに満ちていた。 ついに名案が浮かび、死にゆく木を救えそうな方法を思い出した。(それは一月十六日であった。)独りで庭を歩いて行き、枯れた木の前に頭を垂れ、それに話して言った。「さあ、頼むからもう一度花を咲かせておくれ──わしが代わりに死んでやるからな。」(それは神々の計らいで、一方が実際に寿命を切り離して別の人や生き物、木にさえも与え得ると信じられていたからだ──このように、寿命を移すことを「身代わりに立つ」と表現する。)それから木の下で白い布と様々な敷物を広げ、敷物に座って侍の作法に従い腹切りを行った。祈念が木の中へ入り、同じ時刻に開花をさせた。 そして今でも、毎年一月十六日という雪の季節に開花している。(十六桜 小泉八雲) JIU-ROKU-ZAKURA Uso no yona... Jiu-roku-zakura Saki ni keri! In Wakegori, a district of the province of Iyo, there is a very ancient and famous cherry-tree, called Jiu-roku-zakura, or "the Cherry-tree of the Sixteenth Day," because it blooms every year upon the sixteenth day of the first month (by the old lunar calendar),--and only upon that day. Thus the time of its flowering is the Period of Great Cold,--though the natural habit of a cherry-tree is to wait for the spring season before venturing to blossom. But the Jiu-roku-zakura blossoms with a life that is not--or, at least, that was not originally--its own. There is the ghost of a man in that tree. He was a samurai of Iyo; and the tree grew in his garden; and it used to flower at the usual time,--that is to say, about the end of March or the beginning of April. He had played under that tree when he was a child; and his parents and grandparents and ancestors had hung to its blossoming branches, season after season for more than a hundred years, bright strips of colored paper inscribed with poems of praise. He himself became very old,--outliving all his children; and there was nothing in the world left for him to live except that tree. And lo! in the summer of a certain year, the tree withered and died! Exceedingly the old man sorrowed for his tree. Then kind neighbors found for him a young and beautiful cherry-tree, and planted it in his garden,--hoping thus to comfort him. And he thanked them, and pretended to be glad. But really his heart was full of pain; for he had loved the old tree so well that nothing could have consoled him for the loss of it.At last there came to him a happy thought: he remembered a way by which the perishing tree might be saved. (It was the sixteenth day of the first month.) Along he went into his garden, and bowed down before the withered tree, and spoke to it, saying: "Now deign, I beseech you, once more to bloom,--because I am going to die in your stead." (For it is believed that one can really give away one's life to another person, or to a creature or even to a tree, by the favor of the gods;--and thus to transfer one's life is expressed by the term migawari ni tatsu, "to act as a substitute.") Then under that tree he spread a white cloth, and divers coverings, and sat down upon the coverings, and performed hara-kiri after the fashion of a samurai. And the ghost of him went into the tree, and made it blossom in that same hour. And every year it still blooms on the sixteenth day of the first month, in the season of snow.