「もうやめてよ」と泣き叫ぶ母親の制止を振り切り、
何度も兄の頭をハンマーで殴り殺害しました。
兄の頭には少なくとも18か所の傷がありました。
高畠春樹 被告:
「攻撃を止められませんでした」
■小学校低学年の頃からいじめられていた…
12日の被告人質問で高畠被告は、
自分の生い立ちについて、
うつむきながら細々とした声で語りました。
高畠春樹 被告:
「小学生のころ、家族以外の人に話しかけられると
パニックになってしまい、頭が真っ白になり
何も言葉が出ませんでした。
相手の言葉に対して、うまく反応できませんでした」
弁護人:
「周りの友達と違うと思ったことは、何かありますか」
高畠春樹 被告:
「たくさんあります」
弁護人:
「例えばどんなことがありましたか」
高畠春樹 被告:
「周りの人から、からかわれたり
うまくなじめなかったり浮いているという状態でした」
高畠被告は、小学校低学年のころから
友人とうまくコミュニケーションがとれず、
いじめられていたといいます。
■いじめられる原因は精神障害のある兄にあると思い込み・・・
弁護人:
「自分の日常や人生をどのように考えるようになりましたか?」
高畠春樹 被告:
「小学校は地獄のような場所でした。
人生ってこんなにつらいものなのだと。
生きているのがつらいと思いました」
中学に進学してもいじめはエスカレートし、
天然パーマの髪型を「わかめ」というあだ名で呼ばれたり、
体を殴られたりすることが日常的にあったといいます。
その原因が精神障害のある兄にあると思い込みます。
兄は統合失調症と広汎性発達障害を抱えていて、
高畠被告とは幼いころから
トラブルがつきなかったといいます。
高畠春樹 被告:
「障害を持ったお兄さんが
身内にいるせいで人から好かれないし、
女性にももてないと思いました」
「自分はZ世代。
Z世代の人から笑われたりけんかを売られたり、
ばかにされたり屈辱的に感じました。
どこかで爆発するのではないかと…」
弁護人:
「そのストレスを誰かに向けましたか?」
高畠春樹 被告:
「家族やお兄さんに向けました」
■3か月前、兄と口論になり追いかけられた
高校を卒業後、
埼玉県の自動車整備工場で勤務した高畠被告…。
そこでも同僚とトラブルになり、
ふたたび富山に帰ってきました。
両親は兄弟の仲が悪いことを不安に思い、
高畠被告を富山市内のアパートで生活させます。
そして事件の3か月前、兄と口論になり、
包丁を持って追いかけられたといいます。
高畠春樹 被告:
「いつか殺さないと、自分が先にやっておかないと。
やられる前にやっておかないと、と思うようになりました」
その後、スマートフォンで、
「兄を殺したい」「死体処理方法」などと
検索するようになり兄の殺害を決意しました。
高畠春樹 被告:
「相模原の死刑囚の発言に触発されました」
弁護人:
「どんな発言ですか?」
高畠春樹 被告:
「障害者なんて死んだほうがいい、そんな言葉です」
■今までの自分の行動が、ふに落ちた…
高畠被告は逮捕後、
発達障害の1つ
ASD・自閉症スペクトラムと診断されていました。
弁護人:
「障害者は生きる価値がないといいますが、
あなたも事件後、
ASD(自閉症スペクトラム障害)と診断されました。
あなたも生きる価値がないということになりますよ」
高畠春樹 被告:
「はい。」
弁護人:
「自分がASD(自閉症スペクトラム障害)
と診断されたことをどう受け止めましたか?」
高畠春樹 被告:
「自分が発達障害とは知らず、はずかしいと思った」
弁護人:
「わたしはあなたにASD(自閉症スペクトラム障害)
の特性を伝えましたが、あなたはどう感じましたか?」
高畠春樹 被告:
「自分の今までの行動がふにおちました」
「人間関係を築けなかったのはASD
(自閉症スペクトラム障害)だったからだと思いました。」
弁護人:
「今も障害者は生きている価値がないと思いますか?」
高畠被告:
「いいえ違います」
「人としてよくないと思います」
事件を起こさなければよかったと話した高畠被告。
検察側は、
『強固な殺意に基づいた執拗かつ残忍な犯行態様である』
と主張しました。
一方の弁護側は、
『ASD(自閉症スペクトラム障害)により
対人相互性と強迫症状があった被告が、
長年確執があった兄を殺害しなければならない
という考えに固執するようになった』
などとして、情状面を考慮するよう求めてました。
裁判官と裁判員は被告が抱えるASDの影響をどう判断するのか。
裁判の争点は量刑で1月31日に判決が言い渡されます。