あま野球日記@大学野球
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壮大なプランは夢で終わらせない。全選手、コーチ、フロント陣が集まった ミーティングで、巨人・原監督は冒頭8分間にわたって熱く語りかけた。 今季から5連覇、計7連覇に挑むという大きな目標を全員の心に刻んだ。 「昨年は日本一にはひとつ足りなかったが、あえて(今季のスローガンを) 維新とし、新しいものを作る。ペナントレースの2連覇は称賛されたが一切 忘れて、2009年のメンバーを礎として5連覇する」。 自らはWBC日本代表監督も兼任するという激務が待つ。巨人の若手を鍛え、 日の丸を率いる。緊張感あふれる宮崎。原監督の手腕が問われる"キャンプ" が始まる。(サンスポ) 原辰徳(東海大相模高-東海大)。 2003年暮れに読売グループ内の「人事異動」と称して、監督を更迭され、 翌々年(05年)のオフに監督に復帰した。昨年秋には、読売グループが推し進 めるWBCの監督人事が難航。ナベツネからは「力不足」と指摘されながらも、 グループ内の人事異動の一環としてWBC監督という要職にも就いた。 「もしダメと思ったら、いつでもクビにしてください」。西武を日本一に導いた 渡辺久信、監督を引き受ける時、首脳陣を前にそう言い放ったという。 2~3年なら無理に仕事をしなくとも家族を食べさせていける。だから自分が 自信をもってやれる仕事がしたい。その思いが強気な発言につながった。 渡辺久信のような発言は単純に格好いいと思うけど、原のように「人事異動」 と称して権力者に翻弄され続ける姿は、とてもサラリーマンぽくて、ボクはつい 親近感をもってしまうのだ。 ---------------------------------------------------------------- 今回から、不定期的にWBCに出場する日本代表選手たちの「高校時代」 「大学時代」を追いかけます。第1回目は原辰徳監督(現・読売監督)。 <東海大相模高時代> ■チームメイト■ 監督は父・貢氏(現・東海大系列高野球部総監督)。チームメイトには、 原を押しのけて4番を張った津末英明(東海大-日本ハム-読売)や、 エース・村中秀人(現・東海大甲府高監督、東海大)らがおり、春・夏を 合わせて計4回も甲子園に出場した(夏3回、春1回)。 ■県内のライバル■ 同じ神奈川県下で甲子園を争った選手たちには、桐蔭学園高の長内孝 (元・広島カープ)や水上善雄(現・日本ハム二軍監督)らがいた。 ■甲子園のライバル■ 甲子園では名勝負を残した。1974年夏の準々決勝で定岡正二を擁する 鹿児島実高に、延長の末敗退した試合は有名だ。ちなみにこの大会で優勝 したのは銚子商高。エースの土屋正勝(元・中日)や、WBCでコーチを務め る篠塚利夫(現・読売コーチ)が活躍して深紅優勝旗を千葉に持ち帰った。 原の甲子園、特にボクが憶えているのは翌75年センバツの決勝・東海大 相模対高知戦のこと。原と高知高・杉村繁(元・ヤクルト)、大会屈指の 好打者同士として対戦し、延長の末にスコア10-5で高知東海大相模が優勝 したのだけど、原と杉村が試合中におしゃべりするシーンをテレビで見て、 ボクは驚いた 高校野球で(しかも甲子園で)相手チームの選手と話す なんて、ご法度と思っていたから。 ■トピックス■ この試合を観て、スポーツライターの小関順二氏は、 「太田幸司(三沢高校)や島本講平(箕島高校)以来途絶えていた 『華やかなスター』だ」と、原辰徳を評したことがある。
※原監督の大学時代まで書きたかったのですが、高校時代だけで長くなって しまいました。大学時代のことは次回ということで・・・。
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