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あま野球日記@大学野球

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2012.12.22
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カテゴリ:近鉄バファローズ

(前回の続き)

■1979年11月4日(日曜日)、日本シリーズ第7戦。9回裏、1点差を追う近鉄バファローズは無死一・三塁になり、チャンスが膨らんだ。一塁ランナーの代走は吹石徳一、三塁には藤瀬史朗。そして打者は平野光泰、カウントは1-1。

広島  101 002 000 =4
近鉄  000 021 00  =


【近鉄メンバー】
1(6)石渡 茂
2(3)小川 亨
3(9)チャーリー・マニエル
4(7)栗橋 茂 → (PH)(2)梨田 昌孝
5(2)有田 修三 → (7)池辺 巌
6(5)羽田 耕一 → (PR)藤瀬 史朗
7(4)クリス・アーノルド → (PR)吹石 徳一
8(8)平野 光泰
9(1)鈴木 啓示 → (PH)阿部 成宏 → (1)柳田 豊 → (PH)永尾 泰憲
           → (1)山口 哲治 → (PH)佐々木 恭介


■「かっ飛ばせー、平野。広島倒せぇ、オー」。近鉄ファンの大きな声援が続いていた。

<9球目>速球、だが高い。ボール。カウント1-2。

この時、一塁走者の吹石徳一がスタートを切った。広島の捕手・水沼四郎は二塁への送球を自重した。近鉄は無死二・三塁になり、一打逆転となるチャンスを広げた。


■近鉄・西本幸雄監督は、この時の狙いを説明した。
「このイニングに2点をとって一気にひっくり返す、この作戦のほうが相手を脅かすし、ベターだと思った」

広島・衣笠祥雄は違う見方をしていた。
「ぼくらにとっては、二・三塁になってくれてかえって良かった。一・三塁で攻められていたほうが苦しかった。一・三塁のほうがヒットエリアが広い。そして、二・三塁になることで開き直れたことが大きかった。この場面で一塁走者を走らせたことは、近鉄最大の誤算ではなかったか」


■ボクはテレビ観戦しながら、チャンスが広がったことに歓喜した。ただその時、まったく迂闊なことに、一塁が空いてしまったことに気づいていなかった。

この9回裏、近鉄が得点するためには、ポイントとなる打者は平野光泰をおいて他にいなかった。西本監督は広島バッテリーに対し、何が何でも平野と勝負させるよう仕掛けることが重要だった。だから、絶対に吹石を走らせてはいけなかった。

走者が二・三塁になったことで、近鉄はみすみす平野の打撃チャンスを逃し、広島は平野を敬遠して一塁を埋める作戦に変更できた。


繰り返すが、近鉄は平野のバットにすべてを賭けるべきだった。


■水沼の悪送球で藤瀬史朗が三塁に達したことも、平野との勝負を回避される遠因になった。やはり、「結果オーライ!」というものは、後から思いもしない副作用がくっついてくるものなのだ。


とまれ、吹石に二盗させた近鉄ベンチの采配が、最大の敗因である。






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Last updated  2012.12.22 11:22:03
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