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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2009.10.15
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  『神経病時代・若き日』広津和郎(岩波文庫)

 なぜかずっと、この筆者について、ちょっと恐そうな感じを持っていたんですよねー。
 確かこの筆者は、戦後の冤罪事件のためにすごく頑張った人じゃなかったですか。
 今、ちょっと調べてみましたら、「松川事件」でした。『松川裁判』という本も書いていらっしゃいます。

 とにかくそんな正義派の闘士のイメージが何となくあって、ちょっと敬して遠ざけていたんですね。
 で、今回、読んでみました。『神経病時代』、とてもユーモラスな小説ではありませんか。

 正義派の闘士とは全然違っていました。
 実は、面白くないことで有名な日本文学の系譜の中にも細々と「笑い」を文体の特徴とする一連の作家がいるんですよねー。

 早くにはもちろん初期の漱石がそうですが、以降も、五月雨式に連綿と繋がっています。
 この作家と時代を同じくする人でいえば、井伏鱒二なんかがそうでしょうかね。

 それはもちろん太宰へも繋がっていますね。梶井の晩年の作品もかなりユーモラスです。そう言えば中島敦だって。つくづくこの辺りの人は早世が惜しまれますよね。

 とにかくそんな作品でした。振り返って考えてみれば『神経病時代』なんてタイトルがユーモラスじゃないはずがありませんね。つくづく我が観察眼のなさを痛感します。

 ただ、だからといってこの小説に、僕が全面的に感心したかと申しますと、僭越ながらそうではありません。
 気になったところは、一口で言えばこういう事です。

 「この小説は、『高等遊民』のなれの果ての悲劇か?」

 例えばこんな場面。夕食後、女房が不機嫌そうに亭主(主人公・定吉)に文句を言いかける場面です。

「一体あなたはあたしや坊をどう思っていらっしゃるの?」
「ああ、何故そんな事を訊くんだね? 無論そりゃ可愛いと思っているよ」
「嘘仰い。可愛いと思ってらっしゃるなら、もう少しはきはきした処か、はっきりした処があなたに見えなけれゃなりませんわ。あなたは坊をあやした事がありますか? あなたはあたしを見ると直ぐ横をお向きになるじゃありませんか……」
「もう止めて呉れ、お願いだ」と定吉は哀願の目附をした。「ああ、一体どうすればいいんだろう? ……これが僕の性質なんだから、ね、どうか、これが僕の性質なんだから、許して呉れ。……僕は静かな事が好きなのだ……ね、どうか静かにしていて呉れ!」


 これは、何ですかね。ひょっとしたら僕の家庭の様子をのぞき見した光景ですかね。
 またこの場面の少し手前には、こんな表現もあります。

 定吉は朝早く眼をさました。彼は夜っぴいて不愉快な夢に襲われていたので、眼がさめても眠った後のような気はしなかった。頭が重かった。彼は煙草を喫もうと思って、煙管を取ろうと身体を擡げかけると、自分の着物が畳まれもしないで、皺くちゃになって、夜具の裾に丸まっているのを見た。
「ああ、これだ、着物を畳んでも呉れない」と彼は吐き出すように呟いた。と、急に彼の頭に一時に不快が押し寄せて来た。


 この手の表現の意味するものはことごとく、「俺はなぜ殿様じゃないのだという悲劇」ということではないでしょうかね。

 えー、つまり、そういう時代であり、そういう読者が対象の作品という事ですね。
 確かに、筆者の父親・広津柳浪の友人である尾崎紅葉の、例えば『多情多恨』には、全く家の事は何もせず、始終怒ってばかりいるような男こそが、男らしい男であるといった価値観も描かれていました。それに比べ、なんと男に威厳がなくなった時代か。

 それとも、男に威厳がなくなった時代風俗もさることながら、むしろ筆者が描こうとしていたのは、「生命力の枯渇」なんでしょうかね。
 するとこの延長上には、例えばある時期の太宰治なんかがいるんでしょうか。
 そうかも知れませんね。(私見ながら、太宰の中では比較的つまらない太宰治が。)

 ただ、遙か昔の、我が青春時代の事を思い出すんですが、こういった「人生と正面から向き合う事に対して、必要以上の恐怖感を覚える」という感じ方に、かなり「共鳴」した時期があった様な気は、確かにしますね。

 例えば、やはり太宰治の読まれ方や、あるいは漱石の『それから』の魅力の中に、それがないとは、やはり言えますまい。

 うーん、ちょっと辛い言い方になってしまいました。
 しかしここには間違いなく、近代日本文学の黎明期より連綿と続いてきた、社会の中の「無用者からの視点」の、行き着いてしまった地点が見られるように思います。

 最後に、一緒に入っている『若き日』という作品について触れてみます。
 この自伝的な小説は、若き日の恋愛がテーマの作品ですが、父広津柳浪に対する、息子である筆者の尊敬と親愛の感情が過不足なく描かれています。
 ここには、父と息子の肉親愛の形としては、一種の理想のようなものが読みとれる様に僕は思います。なかなか感動的でした。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

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Last updated  2009.10.15 06:10:33
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