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2012.10.11
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カテゴリ:昭和期・新戯作派

  『六白金星・可能性の文学』織田作之助(岩波文庫)

 この岩波文庫は、割と分厚い短編集で(解説を含めますと390ページあります)十二編の作品が収録されています。
 そのうち二編が文芸評論というか随筆というか、一つは大阪発祥の文楽を二流芸術と述べながら、二流であることの可能性を、文楽もさることながら文学において大いに述べた『二流文楽論』と、その続編と言える有名な『可能性の文学』であります。

 残りの十編は小説ですが、これらの作品は昭和二十年のもの三作、昭和二十一年のもの七作で、こうして一度に読んでみるとこの一年半の間(昭和二十年度のものは十月以降になっています)、いかに織田作之助の創作力が充実していたかが分かり、上記の文芸評論も加えれば、ほとんど奇跡的な一年半であったことが分かります。
 (そして昭和二十一年の十二月に筆者は大量喀血をし、翌年一月に亡くなってしまいます。)

 特に優れているのは、やはり世評の高いこれらの作品でしょう。

 『六白金星』『アド・バルーン』『世相』『競馬』

 この中でも、特に『六白金星』はきりきりと引き締まって密度も高く、頭一つ抜けて素晴らしいと私は思いました。
 例えばこんな表現。

 説教が済み、校門を出ようとすると、そこでずっと待っていたらしく、修一が青い顔で寄って来て、何ぞ俺の話出なかったかと、声をひそめた。大丈夫だと言ってやると、修一はほっとした顔で、お前も要領よくやれよ。途端に修一は楢雄の軽蔑を買った。帰りの阪神電車は混んでいた。寿枝は白足袋を踏みよごされた拍子に、芦屋の本妻の顔を想いだした。すると香枦園の駅から家まで三丁の道は自然修一と並んで歩くようになった。そして、うしろからボソボソと随いて来る楢雄の足音を聴きながら、明日は圭介の知り合いの精神科医の許へ楢雄を連れて行こうと思った。

 筆者特有の、情報量のきわめて多い展開とテンポの良さが抜群で、それが偏屈者の「楢雄」という人物の造形に見事に流れ込んでおり、小気味よいばかりのものになっています。

 後の三作品も、それぞれの登場人物の人生が、俯瞰的に、かつ活動的、猥雑に描かれていますが、私が特に素晴らしく思うのは、どの作品の人物をとっても、何といいますか、自分に襲いかかってくる運命に対する生き方が、きわめて「聞き分けがよい」事であります。これが作品の展開に、引き締まった感じ、背筋がすっと伸びている感じを作りだしているのですが、これは、大阪庶民を描いているがゆえでありましょうか。

 いえ、これは描かれている対象のゆえではなくて、やはり描いている作家の資質であるように思います。(それが証拠に、同じく関西の風土を描いた、中期以降の谷崎潤一郎の作品の登場人物には、このような歯切れの良さは感じられません。谷崎作品の人物には、もっとねっとりとしつこく、ひぃひぃと泣きながらも抵抗し続ける「粘り腰」の様なものがあって、それはそれで大きな魅力になっています。)

 本短編集の中に、『郷愁』というまるで太宰治の『道化の華』を思わせる屈折した主人公像、メタ小説な展開の作品がありますが(ただし、『道化の華』に比べれば、分量がかなり少ないため、やや徹底に欠けるきらいはあります)、その中にこんな描写があります。

 (略)こんなにまでして仕事をしなければならない自分が可哀相になった。しかし、今は仕事以外に何のたのしみがあろう。戦争中あれほど書きたかった小説が、今は思う存分書ける世の中になったと思えば、可哀相だといいながら、ほかの人より幸福かも知れない。よしんば、仕事の報酬が全部封鎖されるとしても、引き受けた仕事だけは約束をはたさねばならないと、自虐めいた痛さを腕に感じながら、注射を終わった。
 書き上げたのは、夜の八時だった。落ちは遂に出来なかったが、無理矢理絞り出した落ちは「世相は遂に書きつくすことは出来ない。世相のリアリティは自分の文学のリアリティをあざ嗤っている」という逆説であった。何か情けなくて、一つの仕事を仕上げたという喜びはなかった。こんなに苦労して、これだけの作品しか書けないのかと、寂しかった。


 当たり前ではありますが、描かれている対象と描いている主体との間には客観的・現実的な開きがあり、猥雑さを描く筆者の精神には、きわめて明晰かつ優秀な、そして透徹した志の高さがありました。

 晩年の梶井基次郎の作品には、近いうちに自らに訪れるであろう死に対する意識が明らかにありますが、織田作の場合はどうだったでしょうか。
 僚友太宰治は、織田作の死に際し「織田君は死ぬ気でいた」と書きました。また坂口安吾は織田作の戯作者精神に、永井荷風などよりも遙かに素晴らしい志の高さがあると説きました。

 織田作は、たった二年間に及ばない戦後を駆け抜けるように生きて、自らの運命に対して「聞き分けのよい」登場人物達を書き続けながら、志半ばに三十四歳で亡くなってしまいます。
 この三十四歳という年齢は、太宰治には五年及ばず、芥川龍之介には一年及ばず、しかし中島敦よりは一年多く、梶井基次郎よりは三年多く生きることのできた年齢でありました。


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Last updated  2012.10.11 06:20:22
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