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カテゴリ:昭和期・中間小説
『出雲の阿国・上下』有吉佐和子(中公文庫) えー、長編小説であります。 中公文庫で上下500ページずつ、合計1000ページであります。 もちろん、この作品を書いた作家のしんどさはその比ではないでしょうが、でも読む方だって、結構大変でありました。 特に、ここだけの話ですが(って、意味ないですが)、この筆者の文章はどちらかと言えば「地味っぽい」感じが、わたくし、申し訳ないながら致しておりましてー、えー、結構辛かったです。 しかし、その甲斐ありましてー(何の甲斐?)、読み終えるととってもよかったです。感動しました。 この感動はいわばながーい本を読み終えたという「達成感」ですね。 と書くと、なんだ、作品の出来の善し悪しは関係ないのかい、自己満足みたいなものかい、と思われるかも知れませんが、いえいえこの達成感は結構大切であります。 わたくし、実は、作曲家ブルックナーの交響曲が結構好きでありまして、CDでよく聴きます。時々演奏会に行って、そこでもブルックナーの交響曲を聴いたりします。 ブルックナーは、習作も含めますと11曲の交響曲を残していまして、私としましては、何とか全曲生演奏で聴きたいものだとは思っているのですが、なかなか全曲コンプリートが出来ません。(実際は、コンサートに載せるには出来があまりよくない曲もあるのだということを聞いたことがあります。) しかし、ブルックナーの交響曲の演奏会は、大体いつ行ってもとても感動的であります。もちろんそれは、素晴らしい演奏をした楽団のおかげでもありましょうが、ある時私はふと別のことに気づいたのですね。 今でも覚えております。私はその演奏会の少し前に、人生何度目かのぎっくり腰にかかりまして(わたくしも腰痛持ちなんですね)、いわばその回復期にありました。 そこへブルックナーの交響曲第7番の演奏会であります。一曲だけで80分近くあります。ブルックナーの曲はとにかくとっても長いんですね。(マーラーの交響曲は大体それ以上に長いですが。) もちろん随所に素晴らしい旋律があるのですが、それでも長いです。 そこに、腰痛回復期にあった私の腰であります。第2楽章あたりから徐々に鈍痛を発生し始めました。 一曲80分も掛かるような曲を演奏する方々も大変でしょうけれど、あんな狭い椅子にずっと座らされている観客も結構大変なわけで、私は狭い椅子の中でビミョーに姿勢を変え、また変え、また変えと、少しずつ姿勢ローテーションをしながら聴いています。 でも腰の鈍痛は、そのどす黒い痛さを増す一方です。冷や汗が、にじみ始めます。大変です。 そして第4楽章、作品の終盤になり、そんな演奏者の大変と私のような観客の大変が一緒になって(書き忘れていましたが、ブルックナーにはクラシック音楽に珍しくオッサンのファンがとっても多いです。ということは、きっと私のように腰痛を我慢しながら必死に聴いているオッサンもかなり多いと推測されます)、カタストロフに向かってお互いのマゾヒスティックな、固い共同感覚・団結意識が生まれます。 そして、あの、耳も砕けよと鳴り響く金管楽器の集団催眠のような効果の中で、80分が終わった時、もー、わーーーーーっと、拍手の嵐であります! わーーーーーーーっ! わーーーーーーーっっ! やっと、終わったーーーーっっっ!! なんとか、腰もったーーーーーっ! ……やー、ブルックナーは、やっぱり、めっちゃ、ええですなー。 ……えーっと、なんの話、でしたっけ。 ……思い出しました。失礼いたしました。『出雲の阿国』であります。 しかし真面目な話これだけ長いと、単に主人公の一代記だけの内容に留まらず、いわゆる筆者が持つ様々な「哲学」が顔を出します。(この「哲学」を作品の芸にしたのが司馬遼太郎でありますね。) 本作で言えば、一種の芸術論でありましょうが、もう少し絞り込んで言いますと、本当に優れた(天才的な)演技者・演奏者の生き方とはどういったものか、と言うことでありましょうか。 それは、何らかの形で作品が残る芸術や、たった一人でもコツコツと作り続けていくことができる芸術と違って、本質的に「一回性」という性格を持つ芸術に魅入られた芸術家の生き方のことであります。 筆者は、その一つの回答例として主人公「阿国」を描いています。 本作品には何ヶ所かクライマックスと目される部分がありますが、終盤の、阿国の一種の「身の引き方」を描いた部分もまた、深い静かな感動を生み出す部分となっています。 力作です。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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