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analog純文

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2014.08.14
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  『大寺学校・ゆく年』久保田万太郎(岩波文庫)

 久保田万太郎といえば、私は過去に2回、拙ブログで紹介をしているということを、この度確認しました。あわせて確認してわかったことは、どうも私は久保田万太郎の小説は苦手気味だということでありました。

 その理由は、筆者の「人となり」(もちろん、文字からの間接的な情報から私が「勝手」に類推した筆者の「人となり」であり、既ブログをご参照いただければ幸いであります。また、筆者の「人となり」と作品の出来とは、峻別すべきものだとはわかっていつつも。)が三割くらいと、後はいわゆる東京趣味に対する辟易が残り七割(これも自らを省みすれば、田舎者の東京への憧れ嫉妬要素が含まれているかもしれず)でありましょうか。
 2回のブログにどちらも、江戸趣味というものもここまでやらねばならないのかと思うと大変なものだ、といった言い回しが出ています。

 さて、今回の報告でありますが、今回取り上げた作品は戯曲であります。
 そして結論的なことから述べますならば、今回の戯曲からは、私は嫉妬交じりの東京趣味に対する辟易は感じませんでした。なぜなんでしょうかね。

 わたくし、ふと、考えたんですけどね、小説と戯曲の各ジャンルについて、小説家の中に両方を書く人と戯曲にはほぼ手を出さない人とがいそうですね。
 少し昔の文学史上の小説家からさかのぼって挙げてみますと、武者小路実篤は書きましたが志賀直哉は書きませんでした。菊池寛は書きましたが、芥川は書きませんでした。谷崎は書きましたが荷風は書きませんでした。安部公房は書きましたが大江健三郎は書きませんでした。井上ひさしは書きましたが筒井康隆は、あっ、筒井は戯曲も書いてますね。

 ……えっと、わたくしとしては、書く人と書かない人の間に何か法則性があるかと考えたのですが、特に思い浮かびません。思い浮かんだことといえば、純文学の衰退も甚だしいながら、戯曲の衰退もそれに輪をかけて甚だしいのではなかろうかということくらいでした。(もっとも最近の戯曲は、本になった形のものと実際の舞台との間に、とても信じられないような乖離のあるのが「はやり?」のような気がします。)

 ということで、今回の冒頭の作品には、同筆者の小説作品に私が強く感じていた東京趣味は見えないながら、でもその代り、何と言いますか、実に重心の低い、地味ーーな作品に仕上がったものだと私は思ったのであります。

 二作品あるうちの後者の戯曲など、地味なうえに、えっ? これで終わりなの? と思ってしまうような「オープンエンド」(最近この言葉を漏れ聞いたのですが、簡単に言えば、かなり自由度の高い作品解釈を保証する作品のことらしいですね。あわせて聞いたのですが、フランス映画などがその傾向であるそうな)でもありました。

 しかし読み終えた当初、私はあまりにあっけなく感じまして、文庫の最後に収録されていた筆者の「あとがき」を読みますと、そこに「当時の、左翼でなければ夜も日もあけなかった文壇の」という表現があることに気が付きました。

 もちろん筆者としてはそんな「左翼」とは異なった我が作品という文脈で書いているのだとは思いますが、えらいもので、その当時から半世紀以上(二作品は昭和二年と四年の発表)もたってみると、その「地味」さのなかに時代の影が潜んでいるように感じられそうです。

 ところで、「○○でなければ夜も日もあけなかった文壇」という文壇理解は、わたくし、文学史の中で二回読んだように思います。
 今回の昭和初年の「左翼文学」と、もう一つは明治中期の「自然主義文学」であります。
 文学とは、もとより時代と共に生きるものではありましょうが、同時に「不易流行」を追及するものでもありましょう。

 一つの時代の思想潮流がたった一つのもので埋め尽くされるという状況は、それが特に「文壇」であることを考えると、心細いような脆弱さを感じます。
 とはいえそれも、現代から過去を鳥瞰したからそう感じるのであって、現代はその弊から逃れえているかと思うと、なるほど、二十世紀後半という時代が、あらゆる価値が相対化された時代であることを考えあわせても、我々が同じ轍を踏んでいる可能性は依然残りそうです。

 冒頭戯曲集の読書報告から思わぬ方向に記述が逸れてしまいましたが、例えばリアリズムが、それもすぐれたリアリズムであるほど、結果として様々な角度から時代を映し出すことは、筆者の意図を越えて作品中に現れるものでありましょう。
 時代と共に生きることの功罪は、なかなか難しくあるようであります。


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Last updated  2014.08.14 14:17:47
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