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2021.09.05
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カテゴリ:昭和期・歴史小説
  『峠・上下』司馬遼太郎(新潮文庫)

 「司馬先生」の作品であります。
 「先生」とつい書いてしまいましたのは、多くの司馬ファンが言うように、司馬作品中のとっても面白い「余談」のおかげであります。
 特に本作では、あまり話が大きく動かない上巻において、なかなか興味深い蘊蓄がたくさんちりばめられていました。

 例えば小さなもので一つ言えば、武士は旅先から父母に対しては手紙を書いても女房には手紙を書かない、とか。
 そんなこと、知っていましたか? 何故だかわかりますか?

 司馬先生のお説によると、「自分の妻にわざわざ手紙を差し立てるほど水くさくはない」というのが当時の武士の風習だからだそうです。なるほどねー。

 もう一つだけ挙げますね。
 漱石の『心』の最初の方に、「私」が「先生」と知り合いになる場面が書かれているのですが、わたくし以前より何となくここに違和感があったんですね。
 「私」は、全くの赤の他人の「先生」に、なぜいきなりこんなに仲良くなろうとするのだろうか、と。

 もちろん、本書がわざわざ漱石の『心』のこの場面を取り上げているのではないですが、このような例はこの時代よくあると書かれています。(「この時代」とは、要するに「書物の種類がすくなかったころ」とあります。)

​ 知人でもない人間に接近するのは一見奇矯に似ているが、しかしこの時期の若者にとってはこの種の行動は、一種のロマンティシズムであったといっていい。​

 「人がいわば書物のような時代」とも、「この時代、人に会うこと以外、自分を啓発してゆく方法がなかった。天下の士は、そのために諸国を周遊している。」とも書いてあります。
 なるほど、こういうことをお教えいただくと、実にすっきり気持ちいいですね。

 ……と、まぁ、そんなことからだらだらと書きだしましたが、もちろん本書のテーマはそんなところにはありません。
 私の読んだ新潮文庫には作者の「あとがき」があるのですが、ここに筆者自身による本作のねらいが書かれています。

​ 幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。​

 そしてその典型として、主人公・越後長岡藩の非門閥家老河井継之助を描いた、と。

 なるほど。まぁ、一応はわかるような気がします。
 でも、もし主人公が坂本龍馬や西郷隆盛だったりしたら、もっと納得できそうですが(もちろん司馬遼太郎は龍馬も西郷も書いていますよね)、河井継之助もそうなのか、との疑問が読者には残ります。
 逆に言えば、それを読者に納得させるのが本作のテーマだ、ということでありましょうか。

 さて、読み終えて、わたくしにすっきりとこの筆者のねらいが納得できたかというと、うーん、なかなかビミョウではありますねえ。
 その理由の一端は、これは本書の解説文(解説文は亀井俊介というアメリカ文学者の方がお書きです)にこうあります。

​ 「何の得るところもなき戦さに、かれは長岡藩士のすべてを投入」したのだ。そのため長岡藩は荒廃に帰し、民衆は死後の河井まで怨嗟した。その結果「墓碑が出来たとき、墓石に鞭を加えにくる者が絶えなかった」、「墓碑はその後、何者かの手で打ちくだかれた」と作者は語っている。​

 (上記の解説文中の「」内の表現は、「峠」より3年前に司馬遼太郎が河井継之助について書いた文の引用です。)

 以前私は『歳月』という江藤新平を扱った作品を読みましたが、筆者は主人公の優れた能力は評価しながらも人間的魅力については再三厳しい表現をしていました。
 今回の河井継之助を、武士という「人間の芸術品」の典型として描いたと言っています。

 それは多分、武士としての美意識ということで、本文中にも「武士の面目」とか「道徳美」「清廉」「いさぎよさ」「悲壮美」とかいう言葉が散在しています。
 さらにこの価値は、現代に至るも日本人の「民族的特性」として生きているという説明もあります。
 実は司馬遼太郎は、一貫して日本人とは何かを追求してきた作家だったんですよね。

 しかし、本当にそれでいいのでしょうか? 「武士としての美意識」!?

 ……うーん、なかなか我々にはわからない複雑な事柄が、「司馬先生」の頭の中には、たくさんあるのでしょうねえ。


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





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Last updated  2021.09.05 14:28:14
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