所を得る
流転の海シリーズは継続して読み続けています。
地の星読了しました。
最初に読み始めた時に思ったことは
主人公の松坂熊吾と同年代になったので、
感じることが30代とは違うと言うこと。
第二部になって更に思います。
今回の舞台は愛媛県の南宇和あたり。
この辺ですね。
50代で授かった病弱の息子伸仁と妻の房江。
この二人を元気にする為に大阪で営んでいた
事業も土地も手放して熊吾さんの故郷の
愛媛県に戻るまでが第一部。
子供の時代に相撲で熊吾さんに投げ飛ばされて、
片足が不自由になったと言って、
熊吾さんにいろいろ嫌がらせをする
伊佐男とのやりとりと、
おとなしい妻の房枝さんが川で鮎を手づかみで捕る噂が最後まで続きます。
この二つの話の間に沢山の人達との事柄に
熊吾さんは関わっていくわけです。
その中で、今読んだからこそわかることが
沢山出てきます。
優しいけど怒ると病的なぼど暴力を振い、
そして、独断で家のことを決める夫の熊吾さんに対して、
ある時お酒を飲んだときに、
どうでもいいと思えるようになっていく
房枝さん。
どうでもいいと思うことで精神的に安定したんでしょうね。
私はお酒は飲まなかったけど、
外に遊びに行くことで家でのもろもろを
なんとも思わないようにしてました。
それは今となっては単純に遊びですが、
当時は遊ぶことが唯一の拠り所だったんだと思います。
その時だけはもろもろを考えなくていい。
考えないで済むところ。
房枝さんも酔っている間だけは、
何も心配も怒りもなくどうでも良くなる。
お酒に依存する人の気持ちが解ります。
そんな房枝さんを見て、
さんざん謝ってるのに酒をやめられない
のは何故かと考える熊吾さん。
とある事件から『所を得る』という言葉が浮かびます。
熊吾さん曰わく、人にはそれぞれいるべき
場所がある。
それが今住んでいる所や仕事などがどんなに
端から見て良くないと思われても、
本人が幸せに暮らしているのは自分の場所を得たとなり、
どんなに良いところに住んで、
お金もそこそこあっても気持ちが不安定なら、そこは自分の場所ではない。
これもものすごく共感したところです。
結婚前は東京の西の端っこに住むなんて、
選択肢がなかったんですよ。
でも、結婚を境に今の地域に住み始め、
また独身になっても動く気はさらさら無いです。
西側に住み始めて10年近く経ちますが、
相変わらず良いところ。
仕事もいろいろありますがいい職場だと思ってます。
てことは、私は『所を得た』となりますかね。
それか、今の『所』と未来の『所』は違うんですかね。
私の人生の中で一番長く住んでるし、
仕事も続いてますけどね。
もう一つは、伊佐男の最期に遭遇した
熊吾さんが思うことが一番脳みそに
ガツンときました。
これは今の私じゃないとここまで衝撃では
ないと思います。
ある意味、私は常識的な思考なのかと
救われた気持ちでもありました。
第三部は松坂家は大阪に戻ります。
またゆっくり読み進めます。
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