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2019.12.14
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テーマ:史跡巡り(775)
カテゴリ:・・玉名南関山鹿
腹切り坂に来ました。33.02676, 130.63874

左の道が旧豊前街道の腹切り坂への道で、右は車が通る新道です。



腹切坂(三加和町大字岩字池入):永ノ原台地(西南戦争古戦場)から寺本に下る約200mのこの急坂を「腹切坂」という。道幅3mの左側は深い侵蝕谷となり、右側は急崖となっている。腹切坂の名はすでに慶安四年(1651)の「御帳之控」に見える。「小倉路」にも「下り急長し」の記載があるように、参勤交代の道中でも屈指の難所とされたところであるこの坂道も戦後迂回道路の新設(昭和45年)に伴い、地域住民の生活道路としての使命を終えた。この坂には次のような伝説がある。昔、西国の武士が、ひょんなことから人を殺し、敵とねらう若い武士から逃れようと諸国を逃げまわっていたが、しょせん逃げられぬ運命と悟って、この坂の途中で切腹して果てた。それ以来腹切坂という異名がつけられたという。そのほか、この坂には源平合戦に敗れた平氏落ち武者のある武将が、また一方、江戸時代、江戸から肥後細川家への大事な書状を預かった飛脚が、いずれもこの坂で腹を切り、覚悟の死を遂げたという言い伝えもある。



今は整備されていますが、それでも相当な急坂です。
西南戦争では、田原坂の様に、坂を登りたい官軍と、坂を降りたい薩軍が、土塁に隠れて戦ったのでしょう・・・



坂の横に豊前街道の案内マップが、





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最終更新日  2021.02.19 22:11:57
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