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駆け出し記者の一期一会

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2008年04月19日
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カテゴリ:音楽
最近、シューベルトに以前より親しみを感じるようになった。

もちろん、有名な作曲家だから、むかし、小・中学校の音楽室で
ずらりと並んでいた作曲家達の肖像画の中に当然含まれていたし、
授業として『魔王』や『ます』を聴いたのを覚えている。
ピアノを習っていた頃にアンプロンプチュなど何曲か弾いたはずだし、
学生時代のオケでも『未完成』交響曲は夏の演奏旅行の定番だった。

東京交響楽団の音楽監督スダーンの話から興味が深まり、
図書館でシューベルトの伝記を探したら、子どもの本棚に1冊あった。
リブリオ出版の作曲家の物語シリーズの『シューベルト ― 孤独な放浪者』。
児童書では初めての、音楽家による全巻現地取材によるシリーズで、
20年以上前に出て以来、2003年時点で第11刷となっており、
シューベルトを含め、ほとんどの巻をバイオリニストひのまどかさんが書いている。
子ども向けと言いながら、入門書として大人にもじゅうぶん読み応えがあり、
この作曲家の音楽を改めて聴いてみよう♪とか、ほかの作曲家の伝記も読んでみよう!
と思わせるのは大したものだ。

また、ゴールデン・ウィークに東京国際フォーラムを中心に催される
ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭2008のテーマが
なんと「シューベルトとウィーン」なのである。偶然の符合?!
ちなみに、ラ・フォル・ジュルネは、もともとフランスのナントが本家で、
クラシック音楽界の常識を破る大イベントとして世界中に広がりつつあり、
日本での開催は今年で4年目である。

今、なぜシューベルトなのだろう?

いろいろ見たり聞いたり読んだりする中で、
だんだんと自分の中にできあがってきたシューベルトの姿はこんな感じ・・・

♪シューベルトは18世紀の終わりに生まれ、19世紀の始めに死ぬまで、
 生涯を音楽の都ウィーンで過ごした。

♪小学校の校長をしている堅実な父の元、決して裕福とは言えない家庭に生まれたが、
 音楽の才能が抜きん出ていて、宮廷少年合唱団に入り、寮生活を送った。
 この合唱団はウィーン少年合唱団の前身である。

♪当時ウィーンでは、モーツァルトは既に亡く、宮廷楽長はサリエリ、その弟子だった
 ベートーヴェンが活躍し、シューベルトはベートーヴェン命!というほど憧れた。

♪10代の前半から作曲を始め、17歳の時に最初のリート(歌曲)『糸を紡ぐグレートヒェン』を作曲。
 「ピアノや室内楽曲も好きだけれども、リートはもっと想像力が働かされます。
  詩が、たちまち音楽になってきこえてくるんです。
  このほかにも、作曲したい詩がたくさんあります」(ひのまどか著『シューベルト』より)
以来、生涯に700曲ものリートを作曲した。

♪丸顔で髪型は「キノコ」とあだ名され、寝るときにも眼鏡を外さない。
 身長160センチに満たず、西洋人としては信じられないほどの小柄。
 内気で不器用で、およそ女性にもてるタイプではなかった。

♪でも、単純、誠実、実直かつ温和でお人よしな性格により、多くの友達に恵まれ、
 「ぼくらのフランツ」の音楽を喜んでくれる友人たちのためにも作曲に励む。

♪父は音楽家になることに猛反対で、しばらく無理やり息子に補助教員をやらせたが、
 作曲以外何もしたくなかったシューベルトは、教員を辞めて家を飛び出してしまう。

♪定職につかず(つけず)ふらふらして、収入もなく、
 友人たちのところに転々と居候して、食べさせてもらっていた。

♪曲作りだけは溢れるばかり、とどまるところなく続く。
 友人たちは彼の新作を演奏するために内輪のハウス・コンサートを開いてやった。
 これが「シューベルティアーデ」と呼ばれて定例化し、ウィーンでなかなかの評判となる。

♪けれど、生きている間はメジャーになれず、
 世渡り下手のため、出版社からも楽譜を安く買いたたかれ、
 コンサートホールや劇場での大成功を収めることはなく、
 自分が作曲した交響曲をプロのオーケストラの演奏で聴いたことすらないまま終わった。

♪生活力や経済観念が全くなく、ちょっとでもお金が入ると、
 毎日毎晩、友達とウィーンの町のカフェやレストランでしゃべったり、
 ホイリゲ(居酒屋)で飲み騒いで、明け方までほっつき歩いたりして、
 すぐにスッカラカンになるのであった。

♪どこかで梅毒に感染して次第に体調が悪化。
 尊敬するベートーヴェンの死に衝撃を受けつつ、創作活動は続く。
 死をみつめて『冬の旅』などを作曲。

♪1828年3月26日、友人たちの勧めで生涯に一度だけ、自作リサイタルが開く。
 樂友協会小ホールでリート・ピアノ曲・室内楽曲などを発表。
 同年11月19日、腸チフスのため、兄フェルディナンドの家で亡くなる。わずか31歳。
 ベートーヴェンの墓の傍らに葬られる。

♪生涯に遺した曲は、リート、ピアノ曲、室内楽曲のほか、交響曲、オペラ、ミサ曲など、
 約1,000曲に及ぶ。死後発見された作品も多い。

・・・ああ、なんという短い気の毒な生涯だろう。
早死にした天才たちの中でもトップクラスの31歳という若さである。
定職につくことも、家庭を持つこともなかった。
しかし、「ぼくは作曲するためだけに生まれてきたのだから」と
自ら言っているその通りを貫いた人生であり、遺した作品は永遠不滅である。

今年のラ・フォル・ジュルネのポスターに描かれてい、るシューベルトは
ボタンダウンを着て、ブルーのスニーカーを履いている。
「シューベルトは偉大な作曲家ですが、彼の人生を今の言葉で表現すれば、
彼は言わば、19世紀のウィーンのクラブやライブハウスで活躍したミュージシャンでした。
カフェで友達と歌ったり、しゃべったり、夜中にうろついたり、友達の家に転がり込んだり。
それが、シューベルトのライフスタイルでした。
今の時代にも似たようなスタイルのミュージシャンがいるかもしれませんね」
(ラ・フォル・ジュルネ公式HPより和訳)

いるね。。こういう人。
自分の夢を追いかけていつまでもふらふらフリーター人生。
いかに親に反対されようと、好きなこと以外はやりたくない。
ギョーカイの大物に何回デモテープを送っても黙殺されるけど、
内輪のライブではヒーローになり、自分でも天才じゃないかと思う。
明日のメジャーを夢見てストリート・ライブでも熱唱。
ただの思い込みかもしれないけど、ひょっとしたら本当に天才かもしれない。
メジャーになっても一時的な人気でその後鳴かず飛ばずだったり、
人生最後にひと花咲かせたり、死んでから評価されたり。
才能も運命も、人の真価なんて誰にもわからない。。

どうも、クラシック音楽の作曲家というと、高いところに祭り上げられがちだが、
等身大のシューベルトの人生にほんの少し思いを馳せると、
彼の音楽が今までと違った響きで語りかけてくる。
今の時代に生き難さを感じている若者たちの心にも滲みるものがきっとあると思う。

いつの間にか、頭の中で『アヴェ・マリア』のメロディーが響き渡り、
涙するのであった。





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最終更新日  2008年04月21日 00時04分48秒
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