カテゴリ:音楽
記事で紹介した目白バ・ロック音楽祭が始まった。
昨日、オープニングの関連イベントであるフォーラムに参加した。 題して「日本の音楽祭、大集合!」 あいにくの小雨模様の中、目白駅から会場の自由学園明日館まで歩く。 1921年、アメリカの巨匠、フランク・ロイド・ライトとその助手遠藤新が設計した 歴史のある名建築。国の重要文化財にも指定されている。 木のぬくもりのある白い建物が前庭の芝生に映えて、日本離れした清楚なたたずまい。 なるほど、こういう建物を使うところにこの音楽祭の特色があるのだと納得する。 フォーラムは、日本各地で開催されている音楽祭を代表して、 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、仙台クラシックフェスティバル、 福岡18世紀音楽協会、そして、主催者である目白バ・ロック音楽祭からそれぞれの代表者が出席、 さらに、音楽ジャーナリストを交え、朝日新聞の論説副主幹の司会でディスカッションが行われた。 今日、感銘を受けたことは、3つある。 1つは、日本にもこんなに様々な音楽祭があるということ。 例のフォルジュネのような大規模なものから、小規模で手作りで行われている地方の音楽祭まで、規模も内容も運営方法も様々である。 福岡に、もう30年も続いている古楽の音楽祭が存在し、しかもそれをボランティア組織が支えてきた ということを初めて知った。とにかく古楽が好きで好きで、自分たちが毎年感動したくて 音楽祭を運営してきたボランティアの人々。その熱意は、ついに市や県などの行政をも動かす…という力強い話は人が結集してできることの事例として示唆に富んでいる。 2つ目は、音楽プロデューサーと呼ばれる人たちのプレゼンの巧さである。 パワポのプリントアウトの縮小コピーを並べたフォルジュネの資料は、 タイトルからして「成功の秘訣」となっていて自信満々であるが、 プロデューサーの語り口も要を得た堂々たるものだった。 その副題にあるように、「フランス地方都市から得たヒント」により、 クラシック音楽であるにもかかわらず、東京ならではの巨大なイベントを作り上げたのである。 好き嫌いはともかく、百万の人を集めるというのは並の手腕ではないことは認めます、ハイ。 仙台のほうのプロデューサーは実に話の上手な人だった。 仙台クラシックフェスティバル、略して「せんくら」。 「せん」は仙台の「せん」というだけではなく、千円の「せん」。 すべての演奏会の料金が千円。なんであれ一律千円に徹底。 参考にしたのは、フォルジュネとユニバーサルのCDシリーズ「どこかで聴いたクラシック101」と 100円ショップ(!)。 つまり、フォルジュネのように、低料金の短めのコンサートを朝から晩まで幅広い時間帯で。 そして、テーマなど設けず、とにかくどこかで聴いた有名な曲ばかりやる。 一律千円にすることで、一つのコンサートのついでにほかにも3つ4つ行ってみようかという思わせる。ちょうど、100円ショップに行くと、目的のもの1つだけを100円で買うのではなく、要らないものもあれこれカゴに入れて気がついたら2,3千円買ってしまうように。 そして、出演者へのギャラの交渉も、スポンサーアプローチもすべて「一律千円」から出発する。 なるほどなーわかりやすい説明だなー説得力あるわーああいうふうにしゃべるんだー と心から感心した。 3つ目は、こういう企画を打ち出す目白バ・ロック音楽祭のユニークさである。 フォーラム終了後は、参加者による立食パーティがあり、本日のパネラーをはじめ、 音楽祭にかかわるさまざまな人に会うことができた。 まさに、目白バ・ロック音楽祭が提唱するところの 「ロック」(=先鋭的な、挑戦的な)人が集まる「バ」(=場)である。 実行委員長は長髪をかきあげながら語った。 「デジタルの時代は確かに便利で素晴らしいけれど、やっぱり、人と人が直接出会って共感する というアナログな世界も大切だと思います」 帰りがけの挨拶で、「同世代として、あの部分にとても共感しました」と話したら、 「アナログとデジタルの両方の良さを知っている僕らの世代が何か言わなきゃだめですよね」という力強い言葉が返ってきた。 会場に入った時には、参加者の少なさに、正直言って拍子抜けしたのだが、 今日の話を直接聞いた数少ない人間の一人になれたとは光栄である。 さらに、立食の席上でも直接話せた人が多くて収穫大であった。 もっと大勢のパーティでは無理なことだ。かなり得した気分♪ 音楽の力が持つポジティブな可能性を信じられる気がするイベントだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月10日 23時50分20秒
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