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【 思い出綴り 昭和30年代の風景2 】----------
宍道湖氷結 子供の頃(昭和30年代)の山陰の冬はとても寒かった。 木枯らしという言葉そのままに鉛色の空と凍った水溜り、吹き付ける 雪嵐。街の雪は一回降ると当分消えることがなかった。戦闘帽(飛行 機乗りがかぶる帽子)が定番の子供たちが肩をつぼめ学校へと急ぐ。 木造校舎のだるまストーブの中で石炭がガンガン燃えていた。 なぜか分からないが、低学年(1~2年)~中学年(3~4年)は石炭 で高学年(5~6年)はコークスだった。コークスはよく燃えて火力が 強かった。石炭は簡単には火がつかない。低学年のころはとてもつら かったことを覚えている。 昭和38年、それはいきなり訪れた。 「宍道湖が凍っているぞ~!」子供たちは一斉に宍道湖半へと急いだ。 遠くに嫁ケ島が見える。「どこまで行けるかな~?」少年探検隊が編成 された。僕たちは嫁が島を目指した。足元を確かめながらおそるおそる 進んだ。そのうち大胆になった。走ってみた。「大丈夫だ!」ふと気が 付くと、嫁が島の鳥居が目の前に迫っていた。島の松の木が大木である ことをその時知った。 あとにも先にも宍道湖が凍ったのはこのときだけだった。今となっては、 地球温暖化で凍るようなことは二度とないだろう。 写真は宍道湖の湖畔から見た嫁ケ島 (湖畔から嫁ケ島を包み込んで氷結した) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/09/24 02:01:47 PM
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