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小村和也の建築家日記

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【 思い出綴り 昭和30年代の風景7 】--------------


   ガタゴト道  メグロの単発バイク  行商のおばさんたち


昭和34年、私は父の操るメグロの単発バイクのタンクに必死にしがみつい
ていた。砂埃の舞う国道9号線を走る様は、まるで果てしない荒野を進む幌
馬車のようであった。

当時の国道9号線は舗装道路ではなく、単車にとってはまるで今日のモーグル
のコースで競技をしているようであった。タンクの上に乗っていた私のお尻が
どうなったかは容易に想像できるだろう。

靴が脱げた! メグロの爆発音はすさまじい。そのことがようやく父に伝わっ
たときには靴からは相当の距離を走っていた。

記憶では、車などほとんど走っていなかった。走っていたのは、鼻を突き出し
たような格好のバスぐらいであった。そのバスのウインカーは、手動で矢印の
ような方向指示器を運転手が操作するのだが、バスに乗るときはいつもそれを
見るのが楽しみだった。

家の周りの道もガタゴト道ばかりだった。ビー球遊びで穴も掘った。棒で線を
書いて陣地取りもした。雨が降ると水溜りがすぐできた。近所のおばさんは、
夕食で食べた赤貝の殻を割ってその水溜りに入れて埋めた。冬には水溜りに
薄い氷が張った。それを割りながら学校に行った。

ガタゴト道を通って色々な人たちがやってくる。

近所の八百屋のおばさんが大八ぐるまに野菜を一杯積んでやって来た。小さな
金柑(きんかん)や梅の実を一個もらってかじった。日本海側の港町の恵曇
(えとも)からはおばさんがリヤカーを押して魚を売りに来た。津田からも、
大きな木の箱に台車がついたような不思議な箱車に花や野菜をたくさん積んで
やってきた。このおばさんたちは不思議にバッティングしなかった。近所のお
ばさんたちはみんな顔なじみで、ひとしきりお話をしながら時を過ごしたあと、
行商のおばさんたちはガタゴト道を帰って行く。

後を付いて行きたい衝動に駆られながら見送った。

このおばさんたちの姿を見かけなくなったのはいつ頃からだろうか。



   写真は、行商のおばさん(参考写真)





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Last updated  2007/09/30 02:15:18 PM
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