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【 思い出綴り 昭和30年代の風景14 】------------
五右衛門風呂 かまど 昭和30年代までは、どの家も五右衛門風呂とかまどであった。 文化住宅といわれる新興の住宅建築が台頭してきていたことも事実だが、 30年代の初めは、まだまだ貧しい時代であったのでそう簡単には改造で きなかった。 かまどは木を焚いてご飯を炊くので、後には残り火となった炭ができる。 それを炭壷に入れてとっておくのだが、子供心に炭を観察したくて炭壷を 覗き込んで遊んだ。炭は消えたようで消えていないので、何かの拍子に薪 が燃え大騒ぎになったことがあった。決して火悪さではなく観察だったの だが、結果としては同じになってしまった。 風呂は五右衛門風呂で、木をくべるといつのまにかゆで蛙状態になってし まう。いわゆる鉄の器に入っているので、周りを触るとやけどをするくら い熱いので、この風呂に入るときはとにかくテクニックが必要だった。 五右衛門風呂の底には、桧で作られた大きなかまどのふたのようなものを 敷いてそれに乗る。子供のころは体重が軽いので、その木の敷物の浮力が 勝ってしまう。敷物は思いっきり湯面のふたになり、お湯の中に閉じ込め られてしまう。おまけに火に直接あぶられている鉄に乗ることになるので、 これはまさしく釜ゆで地獄であった。 お風呂はいつしか琺瑯(ほうろう)となり、温水器でお湯を注ぎ、かまどは 炊飯器に取って代わられた。 そういえば、洗濯もたらいと洗濯板でやっていた。母は大正生まれだった ので、おそらくそれが当たり前と思ってやっていたに違いない。 ほとんど和服で過ごしていたが、炊事をするときには割烹着を着ていた。 まさしくサザエさんちのふねおばあさんのようだった。ちょっと太めで、 京塚昌子とふねおばあさんを足して割ると我がおふくろとなる。 町内のお上さんたちはみんなそんな感じだった。 昭和30年代の後半になると、昭和生まれのちょっとしゃれた洋風なおば さんが現れてきた。洗濯機、炊飯器、掃除機がこの世に現れるとともに、 ハイカラなおばさんたちが増えていった。 写真は五右衛門風呂(参考写真) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/10/12 06:09:16 PM
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