1470308 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

「歩きつなぎの旅」の記録

「歩きつなぎの旅」の記録

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Category

Keyword Search

▼キーワード検索

Recent Posts

Comments

タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36@ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

Calendar

2014.10.02
XML

2014年10月02日(木)曇


09:20 日比谷神社、【 東京歩きめぐり 第26回 】を歩き始める。はじめに、東新橋2丁目の「イタリア街」を通り抜ける。イタリアの街並みを再現したという、「似非(えせ)」イタリア。イタリア人が見たら、たぶん、違和感を持つんだろう。日本人が駄作「ラスト サムライ」を見て、「違うだろ!!」と感じたのと同じように。

2014.10.02-1

浜松町を南へ。高速バス発着場としていつも利用している「浜松町バスターミナル」を過ぎ、首都高速都心環状線に突き当たる。「船宿」の看板を掲げる木造2階屋が数軒。首都高速高架下の「古川」には、屋形船がずらり並ぶ。

2014.10.02-2

「芝大神宮」を参拝。阿形の狛犬に角がある。よく見ると、折れたのを継いだ跡が見える。「芝大門」をくぐり、「常照院」に立ち寄る。土蔵造の本堂内陣が目立つ。東京大空襲に遇うが、土蔵造であったために焼失を免れる。別名「あかん堂」。本尊が秘仏で開帳しないので「開(あ)かん」とも、赤い堂がなまったともいわれる。

日比谷通り沿いの細長い公園を歩く。ここに「ペルリ提督の像」がある。1953年(昭和28年)、日本開国百年記念祭が開催され、東京都はペリー提督の出身地であるロードアイランド州ニューポート市に石灯籠1基を贈った。その答礼として受け取ったのが、この像だという。でも、なぜ徳川家ゆかりの増上寺の真ん前にあるの? 写真で知るペリーとは、別人のように見えるし・・・・。

2014.10.02-3

「芝東照宮」へ向かう。明らかに芝公園内なのに、民家が1軒ある。空き家ではなく、ひとが住んでいる。「山中商店」の看板を掲げているが、見た感じ、商売をしている風ではない。どの様な経緯でここに? 調べてみたけれど、何もわからない。謎の存在。

芝東照宮裏の小高い山は、「芝丸山古墳」である。原形はかなり損じられており、知っていなければ、ここが古墳だなんて分かりようがない。その中腹に、「円山随身稲荷大明神」が祀られている。正面の狛狐1対とは別に、社の傍らに古い狛狐が1基。耳も鼻先も欠けて、その表情は不気味に見えるが、また、滑稽にも見える。

2014.10.02-4

古墳の頂上には「伊能忠敬測地遺功表」がある。「伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸だった関係で、東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てた」とのこと。芝公園と高輪の大木戸・・・・・、あんまり近いとも思えないけれど。

2014.10.02-5

「ザ・プリンスパークタワー東京」をぐるっと回り、日比谷通りに戻ると、重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」に出る。1632年(寛永9年)造営、2代将軍秀忠の霊廟表門。少し北へ行くと、「旧方丈門」がある。増上寺の方丈(庫裡)の表門であったため、こう呼ばれる。また、全体が黒漆塗りで、「黒門」の別名がある。

2014.10.02-6

1622年(元和8年)建立の重要文化財「三解脱門」から「増上寺」に入る。今日10月2日は静寛院(14代家茂正室、皇女和宮)奉讃法要があり、徳川将軍家墓所が特別公開されている。早速、墓所へ向かう。タイミングよく、坊さんによる団体客への解説が行われており、拝聴させて頂く。

ここに埋葬されているのは、2代秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂の6人の将軍、崇源院(2代秀忠正室、浅井三姉妹の三女 江)・静寛院(14代家茂正室、皇女和宮)ら5人の正室、将軍の側室・子女を含む 計38人とのこと。

2014.10.02-7

墓所の門は、文昭院(6代家宣)霊廟の宝塔前にあった中門だという。左右の扉に5個づつの葵の紋を配している。青銅製の鋳物なので、「鋳抜門(いぬきもん)」と呼ばれている。

2014.10.02-8

墓所の8基の宝塔のうち、静寛院(14代家茂正室、皇女和宮)の宝塔だけは、葵の紋章ではなく、菊の紋章が刻されている。静寛院和宮が亡くなったのは、1877年(明治10年)。すでに幕府はなく、この宝塔は宮内省によって造営された。墓所を出て、増上寺境内をひとめぐりする。

2014.10.02-9

日比谷通りを北へしばらく。1717年(享保2年)建立の重要文化財「有章院(7代家継)霊廟二天門」がある。この先を西に折れると、「御成門」。増上寺の裏門として建てられたが、将軍が参詣する際に使用されたので、御成門と呼ばれるようになった。この門も重要文化財。11:35 都営地下鉄 御成門駅、【 東京歩きめぐり 第26回 】はここで終わり。


日比谷神社 → 御成門駅 : 7.2 km

東京-26 文字





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014.10.05 09:23:40
コメント(0) | コメントを書く
[(完結)東京歩きめぐり] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.