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「歩きつなぎの旅」の記録

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2016.08.02
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2016年08月02日(火)曇


5日前に気象庁から関東甲信地方の梅雨明けの発表があったけれど、夏らしい晴天は続かず、一昨日から曇り空である。今回歩くのは 、渋谷区の千駄ヶ谷1・2丁目。09:30 国立能楽堂前交差点 、【 東京歩きめぐり 第65回 】を歩き始める。

千駄ヶ谷1丁目の「東京体育館」や「津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス」などが建つ一帯には、江戸時代 紀州徳川家の屋敷があった。この敷地は明治時代に徳川宗家の所有となり、徳川公爵が本邸を建設している。のちに邸地西側の一部は、鷹司(たかつかさ・公家)公爵邸を経て、戦後 津田塾大学が購入している。

戦時下の 1943年(昭和18年)東京府は徳川公爵本邸を買収し、国民の士気高揚のための錬成道場「葵館」と命名した。建物は空襲を免れたが、戦後は 1952年まで進駐軍に接収され、将校宿舎・将校クラブとして使用された。跡地に東京体育館が完成したのは、1956年のことである。



外苑西通りを南へ向かう。交差点には「外苑橋」「観音橋」の標識。現在は暗渠になっているが、かつてここを渋谷川が流れ、橋が架かっていた名残りである。観音橋交差点から「観音坂」を上る。標柱解説には「坂名は、真言宗観谷山聖輪寺の本尊であった如意輪観音像に由来します。(以下略)」。聖輪寺は現在も坂の北側にある。



鳩森八幡神社に隣接する「庚申塚(こうしんづか)」に立ち寄る。庚申塚とは中国の道教に由来する信仰に基づいて建てられた石塔で、この庚申塚は 1723年(享保8年)の造立。干支では庚申を「かのえさる」と読み、社の屋根にはサルが彫られている。



「鳩森(はとのもり)八幡神社」を訪れる。境内には 1789年(寛政元年)築造の「富士塚」があり、都内に現存する富士塚では最古のものとされる。塚の標高は 6mほどで、山頂まで登ることができる。頂上の奥宮は、富士山から運ばれた溶岩で囲われている。



境内には「将棋堂」もある。日本将棋連盟が 1986年に奉納した 1.2mの王将大駒を納めた六角堂。日本将棋連盟本部のある「将棋会館」は、鳩森八幡神社の南隣りである。会館の前に立つと、将棋を指す様子が窓越しに見える。



鳩森八幡神社を南へ、千駄ヶ谷2丁目の「榎稲荷」を訪ねる。戦前は巨大な榎の根元の洞に祀られていたが、戦災で焼けてしまい、現在は石室にかつての洞を再現している。榎の洞は女陰に似ていたそうで、性的信仰の対象として内藤新宿周辺の遊女や女将などが多く拝みにきたという。

「榎坂」を上る。標柱解説には「(前略)かつて、榎の巨木があったことから榎坂と名づけられたといわれており、(以下略)」。戦前、この坂の途中の巨木の洞に、榎稲荷はあった。坂上を東に入ると、「仙寿院」の門前に出る。



仙寿院は 1644年(正保元年)徳川家康の側室お萬の方の発願により創立された。お萬の方は、紀州徳川家の初代頼宣(家康の十男)と水戸徳川家の初代頼房(家康の十一男)の母である。10:45 仙寿院交差点 、【 東京歩きめぐり 第65回 】はここで終わり。


国立能楽堂前交差点 → 仙寿院交差点 : 3.5 km






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Last updated  2016.08.21 17:19:59
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