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カテゴリ:(完結)東京歩きめぐり
2017年12月04日(月)曇
予報では昼頃までは晴れると言っていたが、早々に雲に覆われてしまった。今回歩くのは、新宿区の戸山1~3丁目。09:25 若松町交差点 、【 東京歩きめぐり 第95回 】を歩き始める。 戸山の地名は、かつては和田戸山と呼ばれていたが、和田を省略したらしい。和田は川(かつて流れていた蟹川)の湾曲部を、戸は入口を意味する。低地の和田戸から見た台地が和田戸山。 江戸時代 戸山一帯には尾張藩徳川家の下屋敷があり、「戸山荘」と呼ばれていた。明治維新後、跡地は陸軍用地になる。戦後は、住宅難解消のため都営住宅の戸山ハイツが建設されたり、都立戸山公園・文教施設・医療施設などとして利用されている。 「下戸塚坂」を下る。由来解説標柱には「(前略)明治五年(一八七二)下戸塚町となったことにより、この坂も町名と同じ下戸塚坂と呼ばれるようになった」とある。現在 下戸塚町という町名はなく、坂名にだけその痕跡を留めている。 「学習院女子大」の敷地には、かつての陸軍施設が残っている。敷地内に入ることはできないが、諏訪通りに面した北門から、その煉瓦造りの建物を見ることができる。4号館は明治末年建築の元近衛騎兵連隊宿舎、隣りには炊事棟がある。 明治通りに面した正門は「学習院旧正門」。解説板によると、1877年(明治10年)学習院が神田錦町に開かれた時 正門として建てられ、各所を転々とした後、1950年 現在地に移されたという。国指定重要文化財、鋳鉄製。 「都立戸山公園 箱根山地区」をめぐる。開園は 1954年。明治通り西側の大久保3丁目には、公園の大久保地区がある。園内では紅葉が進み、そこら中に落葉が積もっている。 尾張藩下屋敷時代には池泉回遊式の広大な大名庭園が造られ、水戸徳川家の小石川後楽園と並ぶ名園として知られたが、今でも残っているのは当時「玉円峰」と呼ばれた築山だけ。それが現在の「箱根山」である。頂上には標高 44.6mの標石。麓に戸山教会附属幼稚園が見える。 その戸山幼稚園。土台の石組みは、陸軍戸山学校時代の将校集会所らしい。箱根山周辺には他にも陸軍施設の名残りがある。箱根山の石碑には「陸軍戸山学校址」の文字。陸軍軍楽隊の野外音楽堂跡と言われる六角形のステージもある。 都営住宅「戸山ハイツ」を歩く。1号棟から35号棟まであるらしい。自然が豊かで新宿至近という好立地ながら、活気が全然感じられない。住民の半数近くが高齢者と言われる。11:10 大久保2丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第95回 】はここで終わり。 若松町交差点 → 大久保2丁目交差点 : 7.4 km お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.12.05 14:47:27
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