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カテゴリ:(完結)東京歩きめぐり
2020年05月12日(火)曇
曇り空。湿度が高くて蒸し暑い。今回歩くのは、千代田区の神田駿河台1・3~4丁目。09:10 淡路町交差点 、【 東京歩きめぐり 第161回 】を歩き始める。 かつて駿河台は本郷・湯島台と地続きだったが、江戸時代初期の神田川開削により切り離されて、現在の駿河台が形成された。駿河台の地名は、徳川家康が駿府で没した後、家康付を解かれて駿府から江戸へ帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、この地に屋敷を構えたことに由来する。 「太田姫稲荷神社」を訪れる。太田道灌が娘の疱瘡平癒を京都の一口(いもあらい)稲荷神社に祈願、1457年(長禄元年)治癒を感謝して江戸城内に創建したと伝わる。「文坂」を横断する。坂名の由来は不明。歩道に石碑がある。 「錦華坂」を上る。坂下に錦華小学校(現 お茶の水小学校)があったことに坂名は由来する。坂上の「山の上ホテル」本館は 1937年(昭和12年)完成。大戦中は海軍に徴用、敗戦後はGHQに接収された。ホテルとしての開業は 1954年。作家の滞在や缶詰に使われたことで知られる。 「吉郎坂」を下る。隣接する明治大学の総長を務めた佐々木吉郎に坂名は由来する。「甲賀坂」を下る。江戸時代 この辺りに甲賀者の組屋敷があったことに坂名は由来する。「池田坂」を上る。池田姓の旗本がこの辺りに屋敷を拝領したことに坂名は由来する。 「雁木坂(がんぎざか)」は江戸時代 急な坂で、雁木が組まれていたという。現在は坂道であることが分からないくらい緩やか。「紅梅坂」を下る。かつてこの辺りが紅梅町と呼ばれていたことに坂名は由来し、町名は紅梅の大樹があったことによるという。 紅梅坂の南側には「ニコライ堂」が聳える。1891年(明治24年)に竣工したが、関東大震災で被災。1929年(昭和4年)修復・再建されて現在の姿となった。国の重要文化財。09:40 聖橋口交差点 、【 東京歩きめぐり 第161回 】はここで終わり。 淡路町交差点 → 聖橋口交差点 : 1.7 km お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2020.05.13 08:38:16
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