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カテゴリ:江戸切絵図歩きめぐり
2023年04月25日(火)快晴
快晴。予報によると、午後から曇るらしい。今回歩くのは、安政5年(1858年)板「東都番町大絵図」のうち、現在の千代田区麹町1~6丁目に当たる地区。09:05 半蔵門交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第15回 】を歩き始める。 切絵図に「半蔵御門」とあり、枡形門が記されている。門の名称は、服部半蔵が門外に屋敷を拝領していたことに由来するというのが定説だが、諸説ある。半蔵門に架かる土橋の北側が半蔵濠、南側が桜田濠。 江戸時代の半蔵門は渡櫓門と高麗門を備えていたが、渡櫓門は明治4年(1871年)に撤廃され、高麗門は昭和20年(1945年)空襲により焼失した。現在の半蔵門には高麗門だけがあり、これは和田倉門(現在の千代田区皇居外苑)から移築したもの。 切絵図の麹町六丁目(現在の麹町4丁目)に「切エヅ板元金鱗トウ」とある。これが切絵図版元の地本(江戸で出版された大衆本)問屋「金鱗堂尾張屋清七」。金鱗堂は嘉永2年(1849年)から文久3年(1863年)まで「尾張屋板切絵図」を板行。明治3年(1870年)まで販売を続けた。 現在の地図で金鱗堂跡地を確認すると、「麹町ストアー」の辺りだと考えられる。この麹町ストアーは国道20号線(新宿通り)に面していて、高層ビルが建ち並ぶ都心の一等地にありながら、強烈に昭和なニオイを放ち続ける謎の低層建築物である。金鱗堂跡地を示す解説板等はない。 切絵図に「善国寺立跡」「善国寺谷」とある。「善国寺坂」の坂名は、かつて坂上にあった善国寺に由来する。寛文10年(1670年)に日本橋馬喰町から麹町へ移転してきた善国寺だが、寛政4年(1792年)に焼失。翌年、牛込神楽坂(現在の新宿区神楽坂)に移転再建された。 「心法寺」を訪れる。徳川家康に同行して江戸入府した然翁聖山和尚により、慶長2年(1597年)心法寺は当地に創建された。境内には延宝4年(1676年)鋳造の銅製梵鐘、宝暦2年(1752年)銘の庚申塔がある。 切絵図に「四ツ谷御門」とあり、枡形門が記されている。明治5年(1872年)門は撤去され、枡形と石垣だけが残ったが、明治32年(1899年)残っていた枡形と石垣の大部分も撤去された。現在は見附北側の石垣だけが残っている。09:55 JR四ツ谷駅麹町口 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第15回 】はここで終わり。 半蔵門交差点 → JR四ツ谷駅 : 2.9 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 37.7 km ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.04.26 16:27:39
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