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カテゴリ:江戸切絵図歩きめぐり
2024年11月03日(日)快晴
文化の日。秋晴れの特異日なので、快晴である。今回歩くのは、嘉永7年(1857年)板「目黒白金図」のうち、現在の港区白金1~2丁目に当たる地区。07:30 清正公前交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第64回 】を歩き始める。 切絵図に「高野寺」とある。江戸時代まで高野山には学侶方・行人方・聖方の三派があり、元禄9年(1696年)行人方(寺院の俗務に従事した人々)江戸在番所触頭(ふれがしら、行人方を統轄する役目を担う)の白金高野寺として、浅草から白金台町(現在の港区白金)へ移転してきた。 白金高野寺は区画整理のため、1920年に現在の杉並区へ移転した。地価の高い跡地には、濃い緑に囲まれて三菱商事の迎賓施設 白金ゲストハウスが建っている。9年前の2015年に訪れた時は竹中工務店の迎賓施設 白金竹友クラブだった。 服部時計店創業者の邸宅「旧服部金太郎邸(ハットリハウス)」を訪れる。切絵図には「上杉弾正少弼(しょうひつ)」とあり、出羽国米沢藩上杉家(外様)の下屋敷だった。初代藩主の上杉景勝は上杉謙信の養子。米沢藩は明治維新まで上杉家が13代続いた。土地と建物は 2014年にシンガポールの不動産会社が購入、2023年 大京に売却された。「建築計画のお知らせ」は出ていない。 切絵図に「織田安芸守」とあるのは、大和国芝村藩織田家(外様)の上屋敷。芝村藩織田家は、信長の末弟長益(有楽)の四男長政を藩祖とする。織田家の大名は4家あるが、いずれも小藩だった(大和国芝村藩1万石、丹波国柏原藩2万石、大和国柳本藩1万石、出羽国天童藩2万石)。 芝村藩上屋敷の跡地は、宇和島藩主だった伊達侯爵家が 1911年に取得して屋敷を構えた。戦後 東京都の白金職員住宅が建てられたが、2015年に訪れた時は広大な空地になっていた。2028年 この空き地に都立新国際高校が開校する計画で、今年9月から工事が始まっている。 「三光坂」を下る。切絵図には「三鈷サカ」とある。坂下の専心寺(切絵図には「センシンジ」とある)にかつてあった三葉の松が、仏具の三鈷に似ていたことから三鈷(さんこ)坂と呼ばれるようになり、それが変化して三光坂になったというのが、坂名の由来として有力という。 切絵図にある「立行寺(りゅうぎょうじ)」を訪れる。旗本の大久保忠教(ただたか、通称 彦左衛門尉)が 寛永7年(1630年)麻布市兵衛町(現在の港区六本木)に創建。寛文8年(1668年)火災に遭ったため、現在地へ移転した。別名を大久保寺という。境内に忠教の墓がある。 「松秀寺」を訪れる。切絵図には「日限地蔵尊 松秀寺 遊行寺ト云」とある。日限(ひぎり)地蔵尊とは「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩。秘仏なので非公開らしい。遊行寺とあるのは、時宗(松秀寺は時宗の寺院)の総本山遊行寺(神奈川県藤沢市)のことと考えられる。08:20 四之橋(しのはし) 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第64回 】はここで終わり。 清正公前交差点 → 四之橋 : 3.3 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 225.9 km ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.04 08:37:30
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