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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.08.20
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カテゴリ:女の不思議男の謎
死刑だ  その2      女の不思議男の謎
                       朝吹龍一朗
(承前)

 その晩、尚吾は少し不機嫌に見えた。筋書き通り、ヘルガがわざと見えるところに放置しておいたスウェーデンからの手紙を読んだに違いない。夕立のなごりでいつもの公園には湿っぽい空気が淀んでいたが、見上げると取り残されたかのように音のしない雷が光っている。留学生会館の窓に反射して、まるで出来の悪い花火を見ているような気分だ。その光に惑わされているわけでもないだろうに、蝉が短く地鳴きを交わしている。ツクツクボウシが突然鳴き出した。秋の証拠だと尚吾から教わったことを思い出す。結婚式は8月20日にするから15日には帰って来いと、ストックホルムの母親からの手紙には書いてあったが、ともかく今日、言わなくてはならない。

「死刑だ」
 尚吾が言った。
「ごめんなさい、婚約者がいるって、どうしても言えなかったの」
 ヘルガは死刑というちょっと物騒な言い回しに驚いて反射的に答えながら尚吾の顔をのぞきこんだのだが、尚吾が言葉に不似合いなほど穏やかな顔をしているのにますます驚き、混乱した。

「君みたいな美人が独身でこんなちっぽけな国に来て、僕みたいなちっぽけな男と付き合ってくれるなんて、考えてみりゃあ、奇跡だよね。のぼせあがった僕が身の程知らずだったってこと、か」
 そう言いながらも表情は穏やかなままだ。厳しく責められると思っていたヘルガは拍子抜けした。最初の輪講に現れた時の自信に満ちた表情に3年分、いや、暦通りなら3年だが10年分位に相当する『時』のやすりをかけたくらいの落ち着きの中に鋭さを秘めたような顔だ。その落ち着きのほうに期待して、心に引っかかった表現のわけを聞いてみた。

「でも、わたし、死刑にされちゃうの?」
「死刑って?」
「だって、死刑だ、っておっしゃったでしょう」
「シケイダ、って言ったつもりだよ。セミが鳴いてるだろう? 英語でCicadaじゃなかったっけ。僕の発音、悪かったかな」
「そう、そうね。スウェーデン語でもおんなじ綴りでシカーダと言う。ただ、スウェーデンでは見ませんでした」
「ずっと僕は幼虫だったのかな。今日、脱皮して成虫になった感じかな、君に振られて、やっと」
 尚吾の顔には微笑が浮かんでいたが、いわゆる『謎の東洋的微笑』なのか、本当に二人のこれからを考えた上でほほえんでいるのか、ヘルガには推定がつかなかった。


「何と言って最後の別れをしたのか覚えていません。いえ、そもそもそれが本当に最後の別れになるなんて思ってもいませんでした」
 朝吹の最優秀の後輩が自死して四十九日の法要を済ませた後、ヘルガさんは真っ白な肌に泣き腫らして膨れてしまった灰色の眼を貼り付けていた。黒いドレスが似合う美しい人だ。尚吾が恋い焦がれる気持ちの一端が理解できた気もする。
「悪かったと思っています、本当に。でも尚吾にお詫びしたくてももう遅いです」
 朝吹は黙って聞いていた。
「死刑だって、聞き間違えたんです、セミのこと。尚吾はわたしに振られて、やっとセミの成虫になったのかな、と、言っていました」

 その時の、セミの成虫になった直後の尚吾と話がしたかったと朝吹は思った。
 セミなら成虫になってしまえば寿命は10日あまりだ。たしかにそのあと10日余りで尚吾は死んでしまった。その時ならもしかしたら思い留まらせることができたかもしれないとも考えた。最後の10日を尚吾がどんなふうに気持ちの整理をしながら過ごしたのかを想像しようと思ったが、ヘルガさんの前で泣き出しそうな予感がして止めにした。その代り、ふと「羽化」という言葉が浮かんだ。どこへ飛んでいったのだろうか。人生はプロセスだって、だから長ければ長いほど成功なんだぜと、あれほど言ってやったのに。

 しょーがねーやつだ、よし、お前の分も俺が生きてやるよ。そうつぶやいて尚吾の霊前を辞去した。


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Last updated  2009.08.20 21:11:10
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