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ばっちっこ その13
一応警察のシャワーを借りて帰るのだが、基本的には汗臭いままである。響子は脱がせたランニングシャツに顔をうずめながら、ああ、倒れそう、と毎回言った。臭いだろうに、というと、いいにおいだもん、と、とろんとした目で答えた。 ただでさえ腹を減らしている。響子の出勤前に一戦交えた後、焼きそばを作ってくれることがあった。3日分なんだけどね、奮発しちゃえ、と言いながら豚小間100グラムを具に使う。必ずジャガイモが入っている不思議な取り合わせのソース焼きそばだった。 調理の合間に面白いことを聞いた。 「あたしの郷里のお寺にね、3匹、鬼がまつってあるお寺があるの」 お寺にお寺があるのは変だ、などと混ぜっ返すことなく、素直に話に乗った。 「鬼を祀(まつ)るって、珍しいな」 「そうなの、それも3匹も。黒いのと、青いのと、赤いのと」 「あれの色が、か」 「やーだ」 響子の顔がみるみる赤くなる。かわいい。俺はほくろがあってもなくても、響子は美人でかわいい女だと評価するようになっていた。 「それで」 「でね、青鬼は何でか知らないけど、くさりでしばられてんの」 「俺、黒だぞ」 「いやん、ばか。だからね、のぶくんも、しばっちゃうよ、あたしに」 そのまま夏休みに入った。高校受験だから俺も少しは勉強しようかと思っていた矢先に恒久が訪ねてきた。学習会をするから来ないかという。どうせ都立高校なんて22群(注)だって眠っていたって入れるだろうというので、内申書は相当ひどいのをつけられそうなこと、だから入試はほとんど満点でないと通りそうにないことを告げた。それでも恒久は言葉を継いで、98点は取れるだろう、面白いから是非来いと言った。そこまで言うなら参加することにした。 手渡されたのは『共同体の基礎理論』だった。白い何の飾りもない表紙。大塚久雄とだけ書いてある。5ミリくらいの厚みしかないが、俺にとっては重い書物になった。マックス・ウェーバーは岩波文庫で有名どころは大体出ていて、本来は入手の機会には困らないのだが、先立つものがあるようでなかった。小遣いが足りわけではない。響子の稼ぎの半分は俺が一人で使っていたのではないか。それは区立図書館所蔵のレコードを聴きつくした挙句のジャズ喫茶通いの金であり、秋葉原で仕入れてくる動作不保障品のアンプの基盤であり(これは20回ほどトライして復活に失敗したのは2回だけだから、9割は成功して転売したので本当は利益になったのだが)できちゃった同級生の堕胎費用だったりした。最後のやつは俺の責任ではなかったことだけは急いで弁明しておくが。なのでその手の本は恒久が必ず2冊購入してきてくれていて、3年の1学期にはほとんど読みつくしていた。大塚久雄は初めてだった。そもそもこの本は普通の本屋には置いていない。東大の大学院で使われる教科書だとあとで 聞いた。 恒久に伴われて南青山の白神(しらが)という麻布高校2年の男のマンションを訪れると、じゃあ、始めよう、という一言で俺の紹介もなくいきなり輪講が始まった。以前から、たまに、ほんのたまに、麻布の人たちと話すと、その理解力が俺の中学の同級生の比ではないことはよくわかった。こいつらは必ずしも単なる学校秀才ではないようだった。あるはずの答えを見つける技術に優れているのみならず、あるかないかわからない答えの方向を見つける術(すべ)をしっかり身につけつつあることがよくわかった。ただし、どこに問題があるのかを発見するのは実地でもまれている俺の方がはるかに優れていると感じていた。 この日、俺はしばらく黙って聞いていた。大塚久雄批判が始まったのでちょっとびっくりしたが、そのトーンに聞き覚えがあることに気付いた。兄が一時期だけ首を突っ込んでいた70年安保の残党の言い草にそっくりなのだ。なるほど、だから『学習会』なんて呼び名だったのかと合点が行った。読みは鋭いが、問題意識が平板で、いかにも書生っぽい議論だったので、2時間を無言のまま退屈に過ごすことになった。 帰りがけに白神さんが声をかけてきて、高松君には難しかったかな、と言った。恒久のことが頭にないわけではなかったが、つい本音が出た。 「書生には付き合えませんね」 恒久が下を向いたのを右の眼尻で捕らえた。同席していた麻布の連中が息をのんでばらばらと立ち上がった。 「夜の歌舞伎町でお会いしましょうか、それも、客としてではなく、ゲマインシャフトの一員として。それからですね、話は」 色めき立っている仲間を代表して白神さんが、ほう、君はそんなに大人かね、と言ったので勝負はついた。 「そうですね、私とみなさんの違いを『大人』かどうかで識別されるんでしたら、もう話は終わってますよね。白神さんおっしゃるとおり、皆さん、もっと大人になれば、今日の議論が掘った陥穽にも気づくでしょうし、みなさんが救済しようとしている、『実社会を支えている人々、無辜(むこ)の民』ですか、みなさんのボキャブラリーでいえば。そんな人たちがみなさんのような方々の支えなんかこれっぱっちも待ち望んでいないこともわかるでしょう。実(じつ)のある議論はそれからです」 これでこのグループとのつながりは完全に切れたが、別の機会も含めて麻布の連中からもらった考え方や、彼らと交わした話を元に自分で勉強したことは、兄や弟、まして母親に伝授しても全く意味がないと思っていた。兄は教員養成系の大学に通うことで教職免許をほぼ手中にしていたので、結局学生運動にも社会的現象の議論にも全く興味を示さず、相変わらず家でのんびりしているか場末で飲んでいるかのどちらかだった。不思議と女の気配がなかった。弟は『はしぼう』だった。この時すでに中学1年だったが、俺と引き比べられて散々なめに遭っていた。母親はかわいそうに全く寄り付かなくなってしまっただけでなく生活費も入れなくなった父親に代わって新宿西口にあるデパートの別館に店を出していた京都のお香屋さんでパートに精魂を使いはたしていた。 代わりに、俺は響子に話をすることにしていた。ウェーバーや大塚久雄だけでは不公平なので、独力で資本論や共産党宣言を読み解いて授業してやった。中学 1年の時から布団の中やちゃぶ台の周りで続けていたのと、もともと響子に才能があったこと、そして何より俺への興味(そう、話の中身への興味ではなく、そんな話をしている俺の方への興味だったと、ずいぶん後になってから笑い話で教えてくれた)のせいで、しゃべった中身について俺と議論ができるまでになってきた。少なくとも語彙だけはいっぱしのインテリ並みにはなっていたのではないか、贔屓目かもしれないが。 それは、場末には珍しい方向の知性だったのだろう、そんな響子の話術を気に入ってくれる固定客が付くようになった。俺もたまには当時響子が勤めていた花園神社のすぐそばのスナックに顔を出し、知らん顔をして会話に割り込んだり響子の応援をしたりした。 夏休みの終わり、彼らの勧めで赤坂に移ることになった。俺に向って、響子は『赤坂進出』と言う。精一杯の気取りが可愛い気がしたので、たまたま帰宅していた父親に赤坂の評判を聞いてみた。そういえばもうこの頃は父親を『高松雲さん』と思いっきり他人行儀に呼んでいたような気がする。『雲(くも)』はちなみに本名だ。 「二流だよ」が答えだった。理由を聞くと、「二流は二流以外の何物でもない。 地方から出てきた選挙民を政治家が『ここは一流です、みなさんをとびきり上等な東京にご案内しました』とウソをついて連れ回したから地方では一流扱いらしいが、俺や東大出の官僚や、うちうちで集まる時の政治家が使うような店は、ないわけじゃないが足の指までは使わなくていいくらいだよ」と解説してくれた。高松雲はそんなところに出入りして、妻と子供の家にはここ数年一銭も持ち帰らないのだ。 でもそんな、二流だなんてことは響子には言えない。 注)22群:戸山・青山高校のペア。学校群制度のもと、新宿区を含む第2学区では 一番の難関とされていた。 ばっちっこ 続く 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.06.19 23:25:36
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