ばっちっこ その4 朝吹龍一朗
ばっちっこ その4 父親の吸い方を必死に思い出しながら、真似ごとをしてみせた。 肺まで吸い込むとむせそうなので、頬を目一杯膨らませて先っぽを燃焼させる。火が灰の下から赤みを増していくのに、向けなくてもいい注意を殊更寄せているせいで寄り目になっているのが自分でもわかる。響子が笑いをこらえているのが寄った眼の先に見える。 口の中には刻まれたたばこが残る。あまり気持ちのいいものではない。父親が吸っていたのはハイライトだったから吸い口があるのだが、いこいはいわゆる両切りだからうまく銜(くわ)えないと巻きが緩んで次々と刻んだ葉がこぼれ、口の中に侵入してくる道理だ。「のぶくん、たばこ、初めてでしょ、吸い込んだことないでしょ」 半分くらいまで、それでも、既に燃やしたと思う。「初めて、じゃないさ」 辛うじてそれだけ言った。「お立ちなさいよ、あとはあたしにお任せでいいから」 響子に促されて次に何が起きるのか全く予想できないまま俺は立ちあがった。膝立ちしたままバミューダパンツのボタンに手をかけてくるのを見下ろしながら、気を紛らわそうと思って胸いっぱいにタバコを吸いこんだ。 咳を3つした。いわゆる、むせた状態だ。ジッパーを降ろす手を止めて灰皿を取ってくれる。火を消したとたんに手と足の指先からじーんと何かが駆け上ってくる気配がした。秒速20センチくらいでどんどん心臓に近づく。頭に近づく。響子の肩に両手をついて片足ずつ上げながらズボンを脱がせてもらっている間についにわけのわからないものの第一波が頭に到達した。くらくらした。よろけた。 響子が素早く立ち上がって支えてくれなかったら、そのままどったんと倒れていただろう。タバコは、強烈な麻薬だ。絶対中毒になるし、恒久のお兄さんが大学受験のころしきりにタバコ1本単語10、タバコを1本吸うとせっかく覚えた英単語を10個も忘れてしまう、と言って弊害と止めにくさを自嘲していたのを思い出す。 ついでにたった2杯しか飲んでいないビールの酔いまで襲ってきた。抱きとめてくれた響子の身長が150センチくらいだということが初めてわかった。両手に余るほどの胸の出っ張りがちょうど俺の胸骨の下あたりに押し付けられている。バミューダは右だけ足首に引っかかったままだ。立っていられない。俺は響子の上に倒れこむ形になった。目を閉じて布団の上に、いや、布団の上にいる響子の上に、いやいや、布団の上にいる響子の持っている見事な二つのクッションの上に、俺はゆっくりと倒れていった。 目をつぶったまま、口の中に残ったたばこの葉の切れ端を舌で掻き出して唇の端まで持っては来たものの、畳の上に吐き飛ばす訳にも行かず、掌に舌の先から移した後、あまり糊の効いていないシーツの裏側にこすりつけた。いい加減目を開けると、響子の額がちょうど俺の口の位置だった。切れ長の目が無意識にか大きく見開かれていて、これから起きることを響子だけは理解しているようだった。「両切りだから、葉っぱが残っ、ちゃうのよねそれを、うまく口の、中に残らない、ようにべろで、たばこの方に戻せる、ように訓練すると、ゼツギも上達するん、だけどね」 胸をつぶされたままとぎれとぎれに息継ぎをしながら響子が言った。フランス人形が身につけているような白いドレープのスカートの間からはっきりわかる二本の足の間に俺自身が割って入っている。新宿西口のポルノ洋画館で毎週見ている外人がはいているような縞のトランクスとのコントラストがきっと絵になるに違いないと思った。今回の旅行のために母親が伊勢丹の下着売り場でとびきり高いやつを購ってきたものだ。 俺はゼツギが『舌技』の意味であることに気づくのに10年かかった。響子も、その後付き合った女たちも誰もそんなボキャブラリーを表だって使わなかったからだ。俺がこのいささか下卑た語彙を知ったのは大学でポルノ小説を堂々と読み始めてのことだ。 窮屈なので腕立て伏せの要領で少し体を浮かせ、左に体を大きくひねって浮かせた右手で下半身で唯一居心地の悪い部分をまっすぐに直した。そのまま姿勢を元の通り響子の体の上に密着すると、直した部分がぴったり響子の両足の付け根に当たる塩梅になった。響子にもはっきりそれが感じられたようで、眉間に3本の縦皺が寄った。 目を閉じると頭の中がぐるぐる回る。のぶくん、だいじょうぶうう。誰かが頬をさすりながら何か言っている。ニコチンとアルコールのダブルパンチを浴びて小学校6年生がいよいよ沈没する気配だ。そう思った途端、俺の意識は俺の支配を脱し、あらぬ彼方に飛んで行った。 ゆるゆると意識が戻ってくる。行燈型の丸い蛍光灯にくっついている豆電球の明かりだけがついている。窓際に障子が閉められていて、畳を二畳縦につないだくらいの広さしかない広縁のような場所だけ、明かりがついている。障子紙はところどころ破れ目があって、にじんだスポットライトにように何もない畳の上を空しく照らしている。「砂が入っちゃってさあ、もうあたしのほうはハマグリそのものよ。こすれるし、でかいし」 響子ではない声が聞こえる。「官僚くんは沈没してるの?」 答えはなんだかぼそぼそしていて聞き取れない。しばらくその音量で女二人の会話が続く。理性は、そんなものがもともとあったらの話だが、まだ戻る気配はない。頭ががんがんする。英語の単語どころか、日本語すら忘れているのではないか。論理的な頭の働きは一向に戻らないのでもしかするとしゃべれないのではないかと不安に襲われる。「あんたたちでしょう、火事騒ぎを仕出かしたの。舎弟みたいなのが必死に探してたわよ。あれはやくざもんらしくって、たぶん警察沙汰にはならないんじゃないかな」「そう踏んだからさっさと連れ戻ったのよ。だけど童貞クンなんだって」「そりゃうちとこも一緒よ、だから砂もろとも侵入だったわけでさ、ご本尊も結構痛かったんじゃないかと思うんだけど。あとできれいにしてあげたら口の中までじゃりじゃりになったし」「こっちはたばこに当たっちゃったみたいでね、もうばったんきゅうでさ、わが軍は無傷。なあんちゃって、でもこの感じだとそのうち妙な時間に起きるんじゃないかな」「でも今晩中はここに置いてあげないと危ないかもね。ところでどんなふうだった?」「なにが?」「あれよ。つねちゃんは、のぶひこのはとてつもなく立派、って言ってたけど」「見てみれば」「用もないのに? 一応響子ちゃんのでしょ、あのバナナは」「別にいいの。でも素直でやさしい子よね」「目が覚めたら二輪車してあげようか」 まだ二人の会話はぼそぼそと続きそうだったが、俺はようやく手足の自由を確認して、手を下半身に伸ばした。ボートネックのTシャツも縞のトランクスも身につけていないのを確認し、丁寧に掛けられていた夏掛け布団を音のしないように跳ね上げると、畳に足を下ろさずに、つまり音を立てずに障子を開けた。そしてそのまま『二輪車』に乗せてもらうことにした。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。