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カテゴリ:心理学 メンタル 悩み、読書
読レポ第1996号 カール・ロジャーズ ~カウセリングの原点~ 著:諸富祥彦 第5章 ロジャーズのカウセリング/心理療法 私がカウンセリングのセッションを始める時、まず「日常の意識モード」を止める。意識を鎮める。日常の、世間の時間と連動した、浅い、表面的な時間の流れを止める。時間の流れを止め、意識の中に「スペース」をつくる。そしてその「スペース」の中でより深く時間の流れへと入っていく。ゆっくり、ゆっくりと意識を深めていって、深い時間の流れに入っていく。 「自分の内側の、深いところに入っていくことできるこころの構え」をつくる。 「相手の内側の、深いところに入っていくことできるこころの構え」をつくる。 このような「脱日常的な深い意識のモード」「脱日常的な深いこころの構え」をつくり、そうした「意識モード」「こころの構え」でクライアントの話を聴いていく。 そうした「深い意識モード」「こころの構え」がセットされたカウンセリング・ルームの中ではじめて、クライントも安心して、自分の内側の深いところに入っていくことができる。内側の深いところに触れながら、自分のことを語ることができる。セラピスト自身も安心して、内側の深いところに入っていき、クライントの話を内側の深いところで聴くことができる。深いところに触れながら、そこから言葉を発することができる。 この「内側の深いところに入っていく、意識のモードでの傾聴」。クライアントも、カウセラーも、「内側の深いところに触れながら語ったり聴いたりできる意識のモードでの傾聴」。一言で言えば、これが「ほんものの、深い傾聴」であり、ロジャーズのカウンセリングの本質である、と私は思う。 そしてそれが、「相手の話を聴くだけ」と揶揄されるような、浅い表面的な傾聴(日常モードでの傾聴)や、認知行動療法などの他学派で行われている類の温かくていねな傾聴と、ロジャーズ流の傾聴との決定的な違いである、と私は考えている。 あえて言うならば、このような「深い意識のモードでの傾聴」ができていなければ、その人は、ロジャーズ的なカウンセリングはできていないのだと思う。いくら「受容」「共感」「一致」などの言葉を並べていても、その人は、ロジャーズ流のカウンセリングをおこなえているとは言えない。逆に、他学派の人が違う言葉で説明していても、この「深い意識のモードでの傾聴」がなされているならば、それは、ロジャーズ流の傾聴であると言えるだろう。 ここで書いている著者がカウンセリングのセッションをするために 「意識のモード」に切り替えるために、自分の意識を鎮めて、日常の、世間の時間と連動した、浅い、表面的な時間の流れを止め、意識の中に「スペース」をつくると述べています。 この自分の傾聴の考えは、言葉が違うが著者と同じ考えだと思います。相手にひたすら自分の意識を向けているのです。聴き手が話を聴きて自分の価値観や考えに照らして✕のジャッジをしてしまうと、話し手は〇と思っているのに、聴き手が✕でジャッジしている気持があると、話し手は聴き手の✕の否定を感じるものです。話し手は、聴き手を信頼できなくなってしまいます。話し手は安心できなくなります。 聴き手は、話し手にひたすらありのままの話を受け取ることです。それに、良いとか、悪いとかは、人それぞれですから。聴き手は、ひたすら心のベクトル(フォーカス)を自分の価値観や考えを手放して、話し手に向けるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.25 16:49:06
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