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テーマ:ひとり言・・?(17609)
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最近、駅近くのシャッターの閉まった銀行やデパートなどのまえなどで、人が集まっているのを見かけることがある。
それは、早朝であるときもあった。 それが、気になっていた。 若者や中年、男や女、小型のカバンやリックを背負ったりしながら、 それぞれがお互い会話をするでもなく、集まっている。 集団に一貫性はない。 共通しているのは、彼らが、集まったあと、 携帯電話に、何かを打ち込んでいたことだ。 彼らは、日払いの労働者だった。 彼らは、これから、迎えの車に乗って、荷物の仕分けなどの労働現場へいく。 彼らが、黙々と携帯に打っていたのは、 集合場所に自分が来たことを、キーワード番号で知らせていたのだった。 最近の日雇いとは、携帯電話なしには成立しなくなっているようだった。 そして、彼らの中には、ネットカフェ難民が少なからずいた。 ネットカフェ難民とは、深夜のネットカフェを宿泊場所にして、 日払いの仕事をして日々を過ごす人たちのことだ。 非正規雇用者が、3人に1人の時代に、過酷な生き方を迫られている。 これが現代の日本の日雇い労働者の実態のようだった。 私が、20代の頃、横浜の寿町というドヤ街で、 映画作家やジャーナリストの友人たちと、 大学教授や研究者を呼び、連続講演会を開いたことがあった。 テーマは「単身者文化の再検討」というものだった。 そのころ、外国のスラムなども、訪問していた私は、 日本の山谷、寿町のような日雇い労働者の町が、なぜ、男ばかりなのか、不思議だった。 世界中にはスラム街がある。 しかし、そこには「家族」が存在していた。 日本では、なぜ、このような男ばかり、存在する町があるのか。 似たようなものとして、日本の会社に存在する奇妙な単身赴任という制度がある。 日本人にとって、「家族」は何なのか。 そのころから、ずっと疑問に思っていたことだった。 しかし、今は、 その「日雇い労働者」の様相も変わっていきているようだった。 逆境に、すさまないで欲しい。 もし、深夜、ネットカフェで、 私のこの文章を読んでいる人がいたら、 少しでも、勇気づけられるようなものを、次から、書いていきたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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