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テーマ:旅のあれこれ(10260)
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外国をぶらぶらしているとき、気になる境というのがある。
国境とは違う、文化の境のようなものだ。 米が主食の国か、パンの主食の国なのか。 明らかに農村の田園風景が変わってくる。 ほかにも、子供の抱き方、母親が胸の前で抱くのか、背中に背負うのか。 かつての日本は、アジア圏の背負う文化だった。 女性が頭に荷物を載せて運ぶというのもある。 日本の沖縄のほうは、かつては頭に荷物を載せていた。 最近は沖縄でも、見なくなっている。 それらは風習となって継続されていくこともあるが、時代によって失われていくということも起きるようだ。 新しいものが入ってくるときに、その国の風俗や風習、文化によって、土着的な考えと融合して咀嚼されてしまうというのもある。 アレンジというやつだ。 麺が、その国の素材で作りはじめ、中国では中華麺、東に渡ってくるにしたがい、ウドンや蕎麦に変化していくかと思えば、西に行くとパスタに変化していくというようなものだ。 キリスト教や、仏教、イスラム教なども、その国の解釈によって、同じようでいても、変化していると思う。 マリアが日本のキリシタンのあいだで、観音様の姿になっていたり、 アフリカや南米では、黒い肌をしたマリア像というのも見た。 ブッダの像も、中東や日本やほかのアジアの国では、まるっきり違う。 ブッダは欧米人の顔で鼻筋が通っていたり、体型も痩せていたり、太っていたり、立っていたり、座っていたり、寝ていたり・・・。 そういえば、日本の弁天さまは、インドのサラスヴァティー女神だし、 大黒天は、インド最強の神様シヴァで、大黒天という名前の意味は、マハーカーラ、偉大なる黒を意味している。 黒は時間でもあり、つまり、時間を支配するシヴァの異名だ。 毘沙門天は、これも、インドのクベーラという神さまだ。 子供の頃、誰もが聞く話で、桃太郎というのがある。 あの鬼が島に鬼を退治しにいく有名な話だ。 あれは、インドの叙事詩「ラーマヤーナ」の話が基のようだ。 「ラーマヤーナ」の物語とは、ラーマ王が、妻のシーターを鬼たちに奪われてしまい、 猿王ハヌマーンたちの助けを借りて、シータをランカー島から救出するという物語だ。 ランカー島は、今でいうとスリランカあたりらしい。 アジアでは、誰もが、知っている話だ。 この話が、インドから広がるにつれ、それぞれの国で、物語のアレンジがはじまる。 日本では、猿や犬とともに鬼ヶ島に鬼退治に出かける桃太郎のお話になってしまったようだ。 すべてのものごとは、国境を越えたとき、そこで起きる化学変化、咀嚼化、独自のアレンジというのが、なかなかおもしろい。 やばい、そんなことを考えていたら、また朝になってしまった。鳥が啼いてる。 前回のブログのコメントを書くのは、遅れてしまいます。すみません。 いいかげんに寝ないといけないので・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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