カテゴリ:最近のことの日記
(この記事には重大な事実誤認がありました。一度見てしまった方も必ず最後のコメント欄までお読みください!
見ない方のためにひとことだけでまとめると、「長岡氏はご健在」でした。) 劇団四季のキャッツに行くはずだったが気がつくとすり替わっていた『甲斐バンド』…のライブ報告。 ラストライブと聞いて、こんなに長く活動を…と思った年配の方(失礼)もいると思うのだが、実は80年代に一度解散し、90年代に少しだけ再結成して、一昨年に一夜限りの再結成をし…と、実は全然続いていない。 インターネット情報によると、その一昨年?のライブの時に、手に入れにくいチケットがインターネットオークションでなんと40万円台!になり、そのことに甲斐が怒りまくったと。 コンサートを俺たち(普通の音楽ファン)の手に取り戻せ…とかそんなテーマで、一年限りの全国ツアーを決めたらしい。 で、再結成のツアーと言っているものの、実はもともとのオリジナルメンバー4名のうち、なんと2名が鬼籍に入っている!(若い方のために一応書くと「亡くなっている」ってことね) ベースの長岡氏は80年代?に、ギターの大森氏は2004年にそれぞれ病死。だから、あの「HERO」のCMとかシングルレコードジャケットに写っていた人で、生きているのは甲斐本人とドラムの松藤だけ。 その松藤も寄る年波(笑)からか、ドラムを叩くのは最小限で、サブボーカルやサイドギターの役割が中心。それでも前回のツアーの時よりはたくさん叩いていたが、甲斐からは「ドラムを叩かないで、ネットで叩かれた松藤です」と紹介されていた。 なので、今回のツアーは、ARBから途中で入った田中一郎に、演奏上も、頭数的にも助けられているという思いがあった。思えばその電撃移籍の当時、両方のファンであった私ですら、「一郎、それはないよ」と思ったものだった。 ARBのサウンドもかっこよさも田中一郎抜きではありえなかったし、変な言い方だが、「すでに売れていてメジャーな甲斐バンド」に、「知る人ぞ知る売れていないけど実力派のARB」のメンバーが行くことがなんだかかっこわるかったのだ。 ところが、今となっては大正解! ともすれば、思い出だけに終わりがちな甲斐バンドのライブを「いい演奏」として支えていたのは、大森氏亡き今、田中一郎だけだった。さらに、石橋凌がすっかり俳優となり、音楽活動をしていないことを考えると、彼の演奏を見ることもわたしにとってはこのパターンしかなかったのだ! ARBは田中・石橋のいない中、違うメンバーでやっているそうだが、そうなるとあまり興味なし…なので。 長い前置きとなったが、2月7日のラストライブは日本武道館。私は1981年の下関市民会館に始まって、80年代の絶頂期に武道館、90年代の再結成時に武道館…と行ったので、4回目だ。ファンなのかどうなのか微妙な回数だが、音楽仲間の目から見れば明らかに行き過ぎ(笑)か? 全曲自分がまちがいなく歌える(爆)立場で乗り込むライブというのはなんだか優越感有りだ。そういえば、80年代の絶頂期の時に一緒に行ったメンバーの一人H沢君(現在テニスプレーヤー)は、「バカにしてたけど、甲斐バンド、けっこうノるねえ~(ノるはなまらせて発音)」と語っていた。 さて、その頃に比べるとお客の方がすっかり年をとっていて、あの頃たくさんいた女の子たちはどこに…と思うのだが、今まわりにいる、幅狭の武道館の座席をさらに狭くしている太ったおばさまたち(失礼だぞ)がおそらくその少女たちなのであろう! 自分も含めてそんなおじさんおばさんたち相手のライブながら、ここぞという場面ではみんな反応がいい! 不覚にも感動した場面もいくつかあった。 たぶん、それぞれの思い入れがある曲があるせいか、会場で時折泣いている人が結構いた。 冷血の呼び声もある?私も、オープニングの『きんぽうげ』のイントロにまず鳥肌が立つ。アップテンポの曲はそうでもないのだが、『氷のくちびる』 『LADY』 『嵐の季節』は結構感動した。その場のムードというより、あれから何年も経って、いろいろな自分を取り巻く環境が変わっているのに「今ここでこの曲を聴いている自分」に対してなにか喜びのような悲しみのような複雑な思いがあった。 『嵐の季節』というバラードはサビの「そうさ、コートの襟を立てじっと風をやり過ごせ。みんなこぶしを握りしめ、じっと雨をやり過ごせ。」という部分をお客が延々とアカペラで歌ったりするのだが、武道館でみんなが歌っている光景っていうのは実に良かった。それでも、歌詞の「雨」「風」の部分が来るとみんなどっちだったかわからなくなるのか(笑)そこだけ音量が小さくなるのがおかしかった。 アンコール前には、巨大スクリーンが降りてきて、故大森氏のギターインストの曲が流れた。まわりでもすすり泣く声が聞こえていたが、実はこの時点での私は彼が亡くなっていることに気づいていなかった(サポートメンバーのギタリストを大森氏だと思いこんでいた)ので泣きそびれた。やはりファンとは言えないなあ(笑)。 その後、2回目のアンコールでは、なぜその曲をそんな大事なところでやるの…という感じで私も含めて年配の客にはあまり人気のない『ラブマイナスゼロ』。しかし、最後は『100万ドルナイト』という甲斐バンドのライブといえばこれでしょう…という曲と巨大ミラーボールの光で締めくくった。 ミラーボールが激しく回る中、なんだかトランス状態に会場がなっているようだった。 最終日だから、お客がさらに粘って予定外のアンコール…とかに期待したのだが、会場のライトが点くなりのみんなのあきらめの早さ(笑)。やっぱり、おじさんおばさんたちのライブなのであった…。 ![]() 甲斐バンドライブ!! サーカス&サーカス ![]() EMIミュージック・ジャパン 甲斐バンド/100万$ナイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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